トーマス・ヘスラー(Thomas HAESSLER) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | トーマス・ヘスラー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ドイツ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ベルリン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1966・5・30 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 166cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 65kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1988・8・31 フィンランド戦 |
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代表背番号 | 8 10 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 90年 94年 98年 |
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ニックネーム | イッケ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 89,92ドイツ年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
92UEFA欧州選手権最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
92UEFA欧州選手権ベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 88ソウルオリンピック銅メダル | ||||||||||||||||||||||||||||
90FIFAワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
96UEFA欧州選手権 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
84/85 1.FCケルン | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
85/86 1.FCケルン | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
86/87 1.FCケルン | 21 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
87/88 1.FCケルン | 34 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 1.FCケルン | 33 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 1.FCケルン | 34 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 ユヴェントス(イタリア) | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 ローマ(イタリア) | 32 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 ローマ(イタリア) | 26 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 ローマ(イタリア) | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 カールスルーエ | 33 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 カールスルーエ 10 | 34 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 カールスルーエ 10 | 17 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 カールスルーエ 10 | 34 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ドルトムント 20 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 1860ミュンヘン 10 | 33 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 1860ミュンヘン 10 | 32 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 1860ミュンヘン 10 | 29 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 1860ミュンヘン 10 | 21 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 レッドブル・ザルツブルク(オーストリア) 13 | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
小柄ですが、無尽蔵のスタミナに当たり負けしないボディバランス、キープ力を備え、正確なパスで攻撃を組み立てます。美しい弧を描く世界レベルのFKも大きな武器です。 アマチュアでプレーしていた父親の影響を受けてサッカーを始めます。17歳でケルンに加入、84/85シーズンの9月29日ドルトムント戦でトップリーグにデビュー。FWトーマス、クラウスのアロフス兄弟などと攻撃陣を形成し、2年目にUEFA杯準優勝を達成。5年目からは2年連続でリーグ2位となり、1989年には国内年間最優秀選手になりました。 90/91シーズンにユヴェントスに加入してR・バッジョやカジラギとトライアングルを組みますが、1年で退団。ローマでは同胞のFWフェラーとプレーし、生え抜きのジャンニーニやリッツィテッリとプレーします。2年目はコッパ・イタリアで準優勝になり、チームもカニージャ、トッティ、バルボと攻撃陣が充実しますが、ユヴェントスの前にスクデットはなりませんでした。 ビッグクラブからオファーがある中でカールスルーエに移籍。ロシアのキリヤコフやスイスのクヌップといった面々と攻撃陣を組み、2年目に国内カップで準優勝し、4年目は最高の数字を残しました。その後ドルトムントに移りますが、メラーの前にレギュラー獲得はなりませんでした。 1860ミュンヘンではFWマックスとのホットラインでチームを国内リーグ4位に押し上げます。この結果を受けて2年目はチャンピオンズ・リーグの予備選3回戦に臨みますが、若手がそろうリーズに連敗しました。3年目は国内リーグ、インタートト杯、国内カップで計9得点を挙げました。4年目は5月24日ボーフム戦でリーグ通算400試合出場を達成して退団しました。 03/04シーズンにオーストラリアへ移りますが、ヒザを負傷したため引退しました。その後はレコード会社をを経営していましたが、古巣ケルンやナイジェリア代表のアシスタントコーチを務めるなど、後に指導者としてサッカー界に戻っています。 1988年のソウル五輪ではFWクリンスマンらとともに6試合に出場。自身は無得点でしたが銅メダルを獲得します。フル代表デビューは8月31日フィンランド戦となりました。 1990年W杯予選では6試合1得点で出場権を獲得。本大会も5試合出場して優勝メンバーに名を連ねました。1992年欧州選手権予選では1得点を挙げ、5試合戦った本戦ではCISとの初戦とスウェーデンとの決勝トーナメントで得意のFKを決めるなど準優勝になって大会MVPに選ばれ、バロンドール投票でも3位(ブロンズ・ドール)になりました。 1994年W杯予選は不出場でしたが本大会メンバーに選出され、5試合戦ってベスト8になります。1996年欧州選手権予選ではブルガリアから得点を挙げ、本大会でも4試合戦って16年ぶりの優勝メンバーになりました。1998年W杯予選では6試合戦ってアルメニアから3得点を挙げます。本大会では4試合に出場してベスト8にコマを進めました。 代表記録 101試合11得点 余談 ・ケルンでリトバルスキ、バイン、ラーン、オルデネビッツ、ユヴェントスでスキラッチ、カールスルーエでマリッチ、ミュンヘンでファネンブルグと、実に7人ものJリーガーとプレーしています。 2015年3月26日:新規アップ 2015年8月1日更新 |