ルイス・グスタヴォ(Luis GUSTAVO)
フルネーム ルイス・グスタヴォ・ディアス
国籍 ブラジル  
出身地 ピンダモンハンガバ
生年月日 1987・7・23
身長 187cm
体重 80kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2011・8・10
ドイツ戦
代表背番号 17
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 12/13ブンデスリーガ
12/13,14/15DFBカップ
12/13UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05 ユニバーサル・FCリオ・ラルゴ    
06 ユニバーサル・FCリオ・ラルゴ    
07 コリンチャンス(5部)    
07 マセイオ(2部) 14
07/08 ホッフェンハイム(ドイツ2部) 21 27
08/09 ホッフェンハイム(ドイツ) 21 28
09/10 ホッフェンハイム(ドイツ) 21 27
10/11 ホッフェンハイム(ドイツ) 21 17
10/11 バイエルン(ドイツ) 30 14
11/12 バイエルン(ドイツ) 30 28
12/13 バイエルン(ドイツ) 30 22
13/14 ヴォルフスブルク(ドイツ) 22 29
14/15 ヴォルフスブルク(ドイツ) 22 31
15/16 ヴォルフスブルク(ドイツ) 22 22
16/17 ヴォルフスブルク(ドイツ) 22 27
17/18 マルセイユ(フランス)    
身体の強さとスピード、長いリーチを活かしたコンタクトからボールを奪い、適切なカバーリングで危機を未然に防ぐボランチ。そのスタイルとポジションによりカードが多いのが難点です。

コリンチャンスでプロキャリアを始めます。08/09シーズンにホッフェンハイムへレンタル移籍し、高質のプレーを見せてクラブの昇格に役割を果たして完全移籍となります。
2008年8月16日コットブスとの開幕戦でブンデスリーガにデビュー。イエロー11枚、レッド2枚と粗削りな面は否めなかったものの、戦術家ランクニック監督からの信頼は厚く、イビセヴィッチやデンバ・バ、サリホヴィッチといった攻撃陣を後方から支えて台風の目となるチームのキーマンとして活躍、最終的に7位と昇格組としては望外の結果を残しました。
2年目もレッドカードを2枚も受けましたが、3年目はカイザースラウテルン戦で初得点を挙げるなど攻撃面もアピールして冬にバイエルンと4年半の契約を結びます。
優勝するドルトムント相手に移籍初得点を挙げるなど強豪でも先発の座を確保しますが、2年目は途中出場も多く、10試合戦ったチャンピオンズ・リーグでは本拠地で行われた決勝をサスペンションで欠場、最終的にシルバーコレクターとなりました。3年目のリーグ戦はケガで中盤戦で離脱しながら最高の4得点を挙げ、チームとしては初の3冠と最高の結果となりました。
しかし選手層の厚さに加え、SBラームのボランチ起用を目論むグアルディオラ監督の構想から外れ、出場機会を求めてヴォルフスブルクへ移ります。同胞のCBナウドやスイス代表LSBロドリゲスらとの守備も3枚のレッドと課題は残りましたが、ヨーロッパのカップ戦出場権を争うレヴァークーゼン戦やマインツ戦で勝利に貢献するなど、自己最高のシーズンを送りました。2年目はドルトムントとの決勝などカップ戦で4得点を挙げてチームを初優勝に導きました。
17/18シーズンにマルセイユへ移籍しています。

2011年8月10日のドイツ戦で、初めてカナリア色のユニフォームにそでを通します。2年後のコンフェデ杯では5試合に出場、日本、メキシコ、スペインとの決勝で完封して優勝に貢献してスコラーリ監督から信頼を獲得し、パウリーニョとの2センターを不動のものにします。
勢いに乗って臨んだ翌年のW杯ではサスペンションのコロンビア戦以外6試合に出場しましたが、入れ替わりで主将T・シウヴァを欠いた準決勝ブラジル戦で7失点、オランダとの3位決定戦も成すすべなく敗れ、地元での晴れ舞台を最悪の形で終えました。
代表記録

2014年10月14日:新規アップ 2017年7月4日更新