フルネーム ブリニア・ビョルン・グンナルソン
国籍 アイスランド  
出身地 レイキャビク
生年月日 1975・10・16
身長 183cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1997・6・7
マケドニア戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 94,95アイスランドカップ
13アイスランドリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94 KRレイキャビク
95 KRレイキャビク 16
96 KRレイキャビク 18
97 KRレイキャビク 16
98 ヴァレレンガ(ノルウェー)
98 モス(ノルウェー2部)
99 エルグリーテ(スウェーデン2部) 24
99/00 ストーク(イングランド3部) 22
00/01 ストーク(イングランド3部) 46
01/02 ストーク(イングランド3部) 6 23
02/03 ストーク(イングランド2部) 6 40
03/04 ノッティンガム(イングランド2部) 18 13
03/04 ストーク(イングランド2部) 15
04/05 ワトフォード(イングランド2部) 4 36
05/06 レディング(イングランド2部) 6 29
06/07 レディング(イングランド) 6 23
07/08 レディング(イングランド) 6 20
08/09 レディング(イングランド2部) 6 27
09/10 レディング(イングランド2部) 6 26
10/11 レディング(イングランド2部) 6 12
11/12 レディング(イングランド2部) 6
12/13 レディング(イングランド) 26
13 KRレイキャビク 14 16
16 KFG(5部) 17
17 KFG(4部) 10
守備的MFをメインに、CBや右SBを務めるアイスランド代表。時折レッドを受ける場面が見られますが、その柔軟性はクラブでも代表でも重宝されています。

地元レイキャビクを皮切りに北欧のクラブで経験を積んだ後、99/00シーズンに当時のクラブ最高額でストークへ移籍します。しばらくはベンチに座っていましたが、多くの同胞が在籍していたこともあって徐々に戦術になじみ、2001年11月10日ブレントフォード戦でのプレミアデビュー戦と直後のFA杯でゴールを決めます。この活躍もあってレギュラーに定着し、翌月もリーグ戦でウィコム相手に2ゴールを挙げ、FA杯でも1ゴールを決めました。
02/03シーズンはレッドを2枚受けますが、その後3試合連続ゴールを挙げて中盤において揺るぎない地位を確立しました。しかし翌シーズンにノッティンガム・Fに放出されてレギュラーを失い、復帰したストークでもほとんどプレーできませんでした。
04/05シーズンにワトフォードへ移籍し、同胞ヘルグソンと共にチームを支えます。レディングでもシェフィールド戦での2ゴールなどで創立135年目のクラブをトップリーグに導きました。その後先発出場したウェストハム戦やリヴァプール戦、最終節ブラックバーン戦、FA杯マンチェスター・U戦でゴールと監督の期待に応え、チームはリーグ8位と躍進しました。
翌シーズンは20試合にとどまり、終盤のウェストハム戦でもレッドと悪癖が出ました。チームは同点に追い付いて事なきを得ますが、フルハムの前にプレミア残留はなりませんでした。
自らはチームに残り、フル稼働が難しくなります。09/10シーズンのFA杯でアシストしてリヴァプールを破りましたが、11/12シーズンは5試合にとどまりました。
5年ぶりにプレミアに復帰した12/13シーズンも、ライジャーウッドやカラジャンなどといった後進の前に出場機会なしという状況が続きました。13シーズンに復帰した古巣でリーグ優勝して一線から退きますが、16シーズンから2年間下部でプレーしました。

U−19から代表でプレー。1997年9月7日マケドニア戦でフル代表デビューし、翌年のW杯予選はこの試合含め5試合出場。2000年欧州選手権予選も5試合出場しました。
2002年W杯予選は7試合、2004年欧州選手権予選で6試合に出場して計算できる戦力である一方、それぞれデンマーク戦とブルガリア戦でレッドを受けました。
2006年W杯予選と2008年欧州選手権は9試合出場、後者ではリヒテンシュタイン戦でゴールを決めます。2010年W杯予選で5試合に出ますが、本戦出場はなりませんでした。
代表記録 74試合5得点

※:ブリニア・グンナルソン(Brynjar GUNNARSSON)
2017年12月27日:新規アップ 2019年6月10日更新