アレクサンドレ・ギマラエス(Alexandre GUIMARAES)
フルネーム アレクサンドレ・ギマラエス
国籍 コスタリカ
出身地
生年月日 1959・11・7
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1994〜96 ベレン
1996〜97 エレディアーノ
1997〜00 サプリサ
2000〜01 コスタリカ代表アシスタントコーチ
2001〜06 コスタリカ代表
2006〜08 パナマ代表
2009〜10 アル・ワスル(UAE)
2010〜11 アル・ダフラ(UAE)
2011〜12 サプリサ
2012〜   天津泰達(中国)
獲得タイトル 97/98,99/00コスタリカリーグ
ブラジルのリオデジャネイロに生まれ、12歳で医師である父親の仕事の関係でコスタリカに移住。10年余りを過ごして国籍を取得します。現役時代はDFとしてサプリサで3度のリーグ優勝に貢献しました。代表では1990年W杯に出場し、決勝トーナメント進出を果たしています。

WBを配置する3−5−2を得意とします。ブラジル出身だけに攻撃志向が強く、中盤は選手のコンディションに応じて変化させ、ボランチ2枚とトップ下1枚、あるいはその逆も採用します。

1992年に現役を引退し、指導者としてのキャリアを開始します。現役時代にプレーしたクラブを歴任し、1997年から務めたサプリサでは2度のリーグ制覇を成し遂げます。これらの功績により、代表のアシスタントコーチに就任します。
ギルソン・ヌネス監督が病気を理由に退任し監督に昇格します。2002年W杯予選の決勝ラウンドに挑み、前任者が採用していた4−4−2を従来の3−5−2に変更します。地域予選の準決勝ラウンドでプレーオフに回ったものの、決勝ラウンドでは強豪メキシコやアメリカを交わして10試合を7勝2分1敗で首位で通過、自身の現役時代以来となる3大会ぶりの出場を果たします。その後年明けに行われたゴールド杯では主力が好調を維持して準優勝になりました。
W杯では中国を破り、3位になるトルコと1−1と引き分けるなど好ゲームを披露。ブラジルに5−2で敗れ得失点差で決勝トーナメントを逃しますが、自身に対する評価は上がりました。
その後メキシコリーグへ移りますが、2006年W杯に向けたコスタリカ代表のプレーが安定せず、監督が次々と解任されます。復帰を熱望する声が多く、再びコスタリカ代表に就任。2005年のノルウェー戦で初采配を振るいます。最終予選ではメキシコに負け越したものの、その後は確実に勝ち点を積み重ねて3位で予選通過を果たし、2大会連続出場にこぎつけました。
本大会では開幕戦でホストのドイツと対戦。ワンチョペの2ゴールで食い下がりましたが4−2で敗れました。エクアドル、ポーランドにも敗れ1次リーグを最下位で終えました。
パナマ代表を2年間指導した後、中東クラブやサプリサ復帰を経て、2012年にクゼ監督を解任した天津泰達に就任しています。
※リオデジャネイロ(ブラジル)
2006年8月16日:新規アップ 2012年7月6日更新

02コスタリカ代表(W杯出場)
ゴメス ワンチョペ
フォンセカ センテーノ
カストロ ウォレス
  ソリス  
マルティネス ライト
  マリン  
  ロンニス  

06コスタリカ代表(W杯出場)
ゴメスワンチョペ
センテーノフォンセカ
ゴンサレスマルティネス
 ソリス 
セケイラウマニャ
 マリン 
 ポーラス