アンドレス・グアルダード(Andres GUARDADO)
フルネーム ホセ・アンドレス・グアルダード・エルナンデス
国籍 メキシコ
出身地 グアダラハラ
生年月日 1986・9・28
身長 169cm
体重 60kg
利き足
ポジション MF(LMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー
代表背番号 18
W杯メンバー 06年 10年
14年 18年
ニックネーム 王子
個人タイトル  
チームタイトル 11,15CONCACAFゴールドカップ
14/15,15/16エールディヴィジ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 アトラス 26
05/06 アトラス 17 38
06/07 アトラス 17 22
07/08 デポルティボ(スペイン) 18 26
08/09 デポルティボ(スペイン) 18 29
09/10 デポルティボ(スペイン) 18 26
10/11 デポルティボ(スペイン) 18 20
11/12 デポルティボ(スペイン2部) 18 36 11
12/13 バレンシア(スペイン) 17 32
13/14 バレンシア(スペイン) 17 16
13/14 レヴァークーゼン(ドイツ) 20
14/15 PSV(オランダ) 18 28
15/16 PSV(オランダ) 18 25
16/17 PSV(オランダ) 18 27
17/18 ベティス(スペイン) 10 29
18/19 ベティス(スペイン) 10 31
19/20 ベティス(スペイン) 10    
WGからSBまでこなす左サイドのスペシャリストで、スピーディーでダイナミックな突破と疲れ知らずのスタミナ、高い戦術眼、鋭いクロス、豪快なミドルシュートが持ち味です。

7歳の頃、GKサンチェス、DFマルケス、MFペドロといった代表勢を多数輩出しているアトラスの育成組織に入ります。そこで12年過ごして迎えた04/05シーズンは全チームにリーグの全試合数の半分に21歳未満の選手を起用することが義務付けられました。
これによりチャンスがめぐり、19歳で迎えた2005年8月のパチューカ戦で途中出場してトップチームデビューを果たします。そして試合終了間際に決勝点を挙げ、その後のリーグ戦14試合のうち13試合に出場して即戦力としての能力をアピールし、代表入りにもつながりました。W杯後のリーグ戦アメリカ戦でもロングシュートを2本決めるなど好調を維持しました。
R・マドリーから期限付き移籍のオファーが届くも合意には至らずデポルティボに移籍。メキシコ人史上最高額となる移籍金となり、本拠地リアソールでのお披露目には4千人ものサポーターが詰めかけるなど、期待の高さがうかがえました。そして2007年8月26日、アルメリアとの開幕戦でスタメン出場してリーガデビューし、9月16日ベティス戦で初ゴールを挙げました。
2年目はUEFA杯のフェイエノールト戦で2点に絡むなど6試合に出場。リーグでも開幕R・マドリー戦でチームを勝利に導く2アシストや、最終節バルサ戦での先制アシストなど計7アシストを決めました。しかし4年目は前半戦を棒に振ってチームも低迷、最終的にデポルティボ20年ぶりの降格の要因となりました。雪辱を誓って臨んだ11/12シーズンは、昇格を争うバジャドリー戦など自己最多の11ゴールを挙げ、2部を制して1年での1部復帰に貢献しました。
12/13シーズンにバレンシアと4年契約を結びます。ブラジル代表ジョナスの存在でSBとして起用されますが、リーガで初の30試合越えと成果を残しました。2年目の途中にレヴァークーゼンへ移ります。当初はカップ戦要員としてプレーし、3月23日ホッフェンハイム戦でブンデスリーガにデビューします。その後監督交代もあり定位置は得られませんでした。
14/15シーズン、PSVに加入して8月31日フィテッセ戦で国内リーグにデビューします。コクー監督からアンカーとして起用され、不慣れながらもデパイ、L・デヨング、ヴァイナルダムといった攻撃陣を巧みに操って7シーズンぶりの優勝に貢献しました。2年目も本拠トゥベンテ戦の3アシストなど計9アシストでリーグの覇権を守りました。
17/18シーズンにベティスと3年契約を結びます。ホアキンと共に相手を切り崩す中心として8アシストし、ヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。2年目も最終節R・マドリー戦で先制アシストして勝利するなど、旗頭ホアキンと共にベテラン健在をアピールしています。

トップデビューからわずか3ヶ月の2005年12月14日、ハンガリーとの親善試合で代表デビューします。その後3試合連続出場すると翌年のW杯メンバーに選ばれてアルゼンチン戦に出場しましたが、後半に負傷して途中交代となりました。
2007年のH・サンチェス監督の元でもゴールド杯で準優勝になると、続くコパ・アメリカでもウルグアイとの3位決定戦でゴールを決めて勝利に貢献しました。
2010年W杯予選ではMFで最多の14試合、本大会も全3試合に出て決勝トーナメントに進出。翌年のゴールド杯では6試合戦ってコスタリカ戦で2ゴールを挙げ、アメリカとの決勝でも同点ゴールを挙げて代表初タイトルを手にします。
2013年コンフェデ杯では3試合に出場、ブラジルとイタリアの前にグループリーグ突破はなりませんでしたが、日本戦でエルナンデスへ2アシストして勝利しました。
2014年W杯予選はMF最多の14試合に出場、本戦もグループリーグ2位を争うクロアチア相手に追加点を挙げるなど全4試合に出場しました。
2015年ゴールド杯は6試合に出場。コスタリカ戦やパナマ戦では試合を決めるPKキッカーとして3本決め、計6ゴールで連覇に重要な役割を果たしました。
翌年のコパ・アメリカではウルグアイ戦で退場し、チリに7失点を喫しました。2017年コンフェデ杯も3試合に出ますが、ポルトガルの前に4位に終わりました。
2018年W杯予選は11試合2得点。4度目の出場となった本戦は決定機こそなかったものの4試合にスタメン出場してベスト16になりました。
代表記録

※:2005・12・14ハンガリー戦
2013年6月23日:新規アップ 2019年8月15日更新