ヴィンス・グレッラ(Vince GRELLA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ヴィンチェンツォ・グレッラ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | オーストラリア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ダンデノン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1979・10・5 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 79kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2003・2・12 イングランド戦 |
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代表背番号 | 13 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ヴィンス | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04OFCネーションズカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 キャンベラ・コスモス | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 カールトン | 19 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 カールトン | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 エンポリ(イタリア) | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 エンポリ(イタリア2部) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 テルナーナ(イタリア2部) | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 テルナーナ(イタリア2部) | 18 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 エンポリ(イタリア2部) 13 | 32 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 エンポリ(イタリア) 13 | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 エンポリ(イタリア) 13 | 24 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 パルマ(イタリア) 33 | 23 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 パルマ(イタリア) 13 | 35 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 パルマ(イタリア) 13 | 26 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 トリノ(イタリア) 13 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ブラックバーン(イングランド) 11 | 17 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ブラックバーン(イングランド) 11 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ブラックバーン(イングランド) 11 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 ブラックバーン(イングランド) 11 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 メルボルン・ハート 31 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
冷静な状況把握でこぼれ球を拾い、守備面でも主に相手のエースをマークするなどピッチ中央で重要な役割を果たします。ただ、その激しいプレーによりケガがちなのが欠点です。 イタリアの家系に生まれ、1996年にキャンベラでプロデビュー。1998年、カールトンからイタリアに渡ります。11月22日、アウェーのユヴェントス戦でセリエAにデビューします。 ジダンのマンマークが初仕事でしたが、この世界最高の司令塔を見事に封じてスコアレスドローに持ち込みました。しかしその後は出場機会に恵まれず、レンタルされたテルナーナで経験を積みました。そして復帰したエンポリではT・ロッキやディ・ナターレの攻撃力を引き出してA残留に貢献。ミラン移籍も取りざたされるなどリーグ屈指のセントラルMFに成長しました。 03/04シーズンにチームがBに降格すると、バルディーニ監督と共にパルマへ移籍、代表の同僚であるブレッシャーノに加え、モルフェオ、マルキオンニ、ジラルディーノとリーグ屈指の攻撃陣を背後から支えて中盤に安定感をもたらします。ケガで離脱する場面も少なくありませんでしたが、06/07シーズンは主将に指名されるなど、周囲からの信頼を得ました。 07/08シーズンにトリノと3年契約を結び、28試合1得点とまずまずの活躍を見せたものの、2年連続でイエロー10枚、レッド1枚とシビアな判定に苦しみました。 そして同胞エマートンが在籍するブラックバーンへ加入し、8月30日ウェストハム戦でプレミアデビューします。役割やポジションが重なるインス監督の薫陶を受けるものの、彼がほどなくして解任されました。その後はケガもあって苦しいシーズンが続きました。 12/13シーズンに母国に戻ってユニフォームを脱いでいます。 1997年と1999年の2度、Wユースに出場。前者ではベスト16、後者ではグループリーグで姿を消します。そして2000年のシドニー五輪にも出場するなど各年代を経験した後、2003年2月12日イングランド戦でフル代表デビューし、3−1で勝利を収めました。 2006年W杯予選は8試合に出場し、守備専業のクリナとのコンビで32年ぶりの出場権を獲得すると、本大会は全試合に出場して決勝トーナメント進出を果たしました。 2007年、オーストラリアがアジア枠に加入したことでアジア杯に初出場するも、日本戦で退場します。下馬評は優勝候補でしたが、自らの離脱が響きPK戦の末敗退しました。 2010年W杯予選では14試合ある予選の7試合の出場に終わります。本大会でも初戦ドイツ戦の前半でベンチに下がり、チームもグループリーグで敗退しています。 代表記録 46試合 2017年3月10日:新規アップ |