マリオ・ゲッツェ(Mario GOTZE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | マリオ・ゲッツェ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ドイツ | ![]() |
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出身地 | メミンゲン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1992・6・3 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 171cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 64kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2010・11・17 スウェーデン戦 |
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代表背番号 | 19 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ゲッツィーニョ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 11ゴールデンボーイ(トゥットスポルト誌) | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 09UEFAU-17欧州選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||
10/11,11/12,13/14~15/16ブンデスリーガ | |||||||||||||||||||||||||||||
11/12,13/14,15/16,16/17DFBカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
13FIFAクラブワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
14FIFAワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 ドルトムント 31 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ドルトムント 31 | 33 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 ドルトムント 11 | 17 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ドルトムント 10 | 28 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 バイエルン 19 | 27 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 バイエルン 19 | 32 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 バイエルン 19 | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 ドルトムント 10 | 11 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 ドルトムント 10 | 23 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 ドルトムント 10 | |||||||||||||||||||||||||||||
スピード、技術、インテリジェンスを兼ね備えたアタッカー。両足を操るトリッキーなドリブルとゴールへの嗅覚を備えており、01/02シーズンに監督としてドルトムントをリーグ優勝に導いたザマーや皇帝ベッケンバウアーも、その才能を称賛しています。 ドイツ南部のメミンゲン生まれ。6歳でドルトムントに移住し、3年後に地元クラブのアカデミーに入ってトレーニングを本格化させます。U-15から各年代の代表に召集されると、10番を任される重責を担ったこともあって心技共に成長が促進されました。 09/10シーズンにトップチームへ呼ばれ、11月21日マインツ戦でブンデスリーガにデビュー。1年目は5試合に出場しましたが、いずれもベンチからのスタートとなりました。 2年目はシュツットガルトとのアウェー戦で初ゴール、シャルケ戦で初アシストを決めます。香川がアジア杯でのケガで離脱した後はマークがきつくなりましたが、バイエルンやマインツといった上位陣からアシストを記録して、チームの勢いを持続させます。そして29試合に先発して6ゴール15アシストで、チームを9年ぶりのマイスターシャーレ獲得に導きました。 3年目も開幕から1ゴール1アシストと好調をキープしますが、恥骨炎で冬場を休みました。それでも国内カップD・ドレスデン戦では1ゴール1アシスト、優勝を争うバイエルンとのアウェー戦で決勝ゴールを挙げる勝負強さを見せ、クラブ初の国内ダブルを達成しました。 4年目はロイスの復帰もあって10番に変更します。ブレーメンとの開幕戦はベンチスタートでしたが、決勝ゴールを挙げる好スタートを切ります。その後もバイエルンとのアウェー戦での同点ゴールや国内カップ、ハノーファー戦でのハットトリック、R・マドリーとのチャンピオンズ・リーグ準決勝1stレグでの先制アシストと各コンペティションで印象を残しました。 しかしビッグイヤーを争う戦いを前に対戦相手のバイエルン入りが発表されます。自らは決勝を欠場してチームは敗れ、13/14シーズンよりドルトムント戦で因縁が残ります。そして最初のアウェー戦で先制ゴールを挙げる強心臓ぶりを披露するなど、10ゴール10アシストと環境の変化も全く問題にしませんでした。チャンピオンズ・リーグは11試合に出場し、C・モスクワ戦では追加ゴールを挙げます。直後に本田圭がPKを決めますが、自軍もPKで突き放しました。 2年目の国内リーグは、3度の1試合2ゴールでチームの大勝に貢献するなどリーグ連覇を達成。チャンピオンズ・リーグもローマ戦など4ゴールを決めました。3年目は古巣ドルトムント戦やハノーファーとの最終節で試合を決めますが、不完全燃焼に終わりました。 16/17シーズンにドルトムントに復帰しますが、代謝障害に苦しみました。翌シーズンはルール・ダービーで結果を残しました。 2009年のU-17欧州選手権ではイングランド戦でゴールを挙げるなどチームの優勝に貢献。U-17W杯では3ゴールを挙げましたが、スイスに敗れベスト16に終わりました。 2010年11月17日スウェーデン戦で、U・ゼーラーに次ぐ史上2番目の若さでフル代表デビュー。翌年の8月10日ブラジルとの親善試合で初ゴールを挙げ、チームを勝利に導きました。 2012年欧州選手権予選では4試合戦いオーストリア戦で1ゴール、本大会でも1試合の途中出場に終わりました。スウェーデン戦など4ゴールを挙げた2014年W杯予選以降もエジルやミュラーのような不動の先発メンバーになりきれませんでしたが、本大会ではロイスの離脱もあって先発したガーナ戦で先制ゴールを挙げました。そしてアルゼンチンとの決勝ではW杯最多ゴールを塗り替えたクローゼとの交代でピッチに入り、延長戦でシュールレのクロスをトラップして左足ボレーを決め、欧州勢初となるアメリカ大陸での優勝を果たしました。 2016年欧州選手権予選は9試合戦いポーランド戦で2ゴールを挙げます。本大会も4試合に出場しますが、決定的な仕事はありませんでした。 2018年W杯予選は出場した4試合で勝ちますが、本戦メンバーから外れました。 代表記録 2011年9月13日:新規アップ 2018年8月6日更新 |