ルチョ・ゴンサレス(LUCHO GONZALEZ)
フルネーム ルイス・オスカル・ゴンサレス
国籍 アルゼンチン ルチョ・ゴンサレス
出身地
生年月日 1981・1・19
身長 185cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2003・1・31
ホンジュラス戦
代表背番号 22
W杯メンバー 06年
ニックネーム ルチョ
個人タイトル  
チームタイトル 03,04,16アルゼンチンリーグ
04アテネオリンピック金メダル
06~09,12,13ポルトガルリーグ
05/06,08/09ポルトガルカップ
09/10リーグアン
09/10~11/12フランスリーグ・カップ
15コパ・リベルタドーレス
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 ウラカン
00/01 ウラカン(2部) 34
01/02 ウラカン 35
02/03 リーベル・プレート 32
03/04 リーベル・プレート 24
04/05 リーベル・プレート 8 26
05/06 ポルト(ポルトガル) 8 30 10
06/07 ポルト(ポルトガル) 8 30
07/08 ポルト(ポルトガル) 8 28
08/09 ポルト(ポルトガル) 8 23
09/10 マルセイユ(フランス) 8 32
10/11 マルセイユ(フランス) 8 36
11/12 マルセイユ(フランス) 8 19
11/12 ポルト(ポルトガル) 3 12
12/13 ポルト(ポルトガル) 3 29
13/14 ポルト(ポルトガル) 3 16
13/14 アル・ラーヤン(カタール) 33 10
14/15 アル・ラーヤン(カタール2部) 33 16
15 リーベル・プレート 27
16 リーベル・プレート 27
16 アトレティコ・パラナエンセ(ブラジル) 3 12
17 アトレティコ・パラナエンセ(ブラジル) 3 26
18 アトレティコ・パラナエンセ(ブラジル) 3 27
19 アトレティコ・パラナエンセ(ブラジル) 3    
元来サイドアタッカーですが、中央で起用されパサーとしても注目されるMF。高度な戦術眼や機を見た飛び出し、正確なキック、ダイナミズムが特長です。

首都ブエノスアイレスの一角カピタル・フェデラル出身。14歳でウラカンのユースに入り、1999年4月29日ラシン・クラブ戦でトップリーグにデビューします。
チームは降格したものの、そのまま残って多くの出場機会を獲得して実戦経験を積みました。そして2部を制し1年で1部復帰を果たします。迎えた00/01シーズンは前期8位、後期7位と昇格組ながら健闘するチームで中心的な存在となりました。
この活躍により02/03シーズンより名門リーベルへ引き抜かれ、ペジェグリーニ監督によりレギュラーとして起用されます。そしてFWカベナギやMFダレッサンドロ等と攻撃陣を牽引、自身初タイトルとなるリーグ優勝を果たし、03/04シーズン後期も制しました。
この活躍が欧州各クラブより注目され、05/06シーズンよりポルトと5年契約を結びます。8月21日アマドラ戦でリーグデビューし、チーム最多の30試合に出場して10ゴールを挙げ、チームに2シーズンぶりのリーグ優勝をもたらします。チャンピオンズ・リーグでもグループリーグで敗退しますが、6試合で1ゴールを挙げました。翌シーズンには加入2年目にして主将を任され、チャンピオンズ・リーグでは3節連続ゴールを挙げるなど決勝トーナメントに進出。国内でも前年に引き続き好調を維持して2連覇を達成しました。その後もチャンピオンズ・リーグでは2年連続で決勝トーナメントに進み、リーグでも連覇を4にまで伸ばすなど黄金期を築きました。
09/10シーズンにマルセイユに引き抜かれるも左の鎖骨を骨折、リーグデビューは9月12日ル・マン戦になります。2戦目のモンペリエ戦で1ゴール2アシストと遅れを取り戻し、FWニアングとのホットラインでチームをけん引、12アシストでクラブ18年ぶりのリーグ優勝に貢献。チャンピオンズ・リーグでは、R・マドリーとミランという最多優勝回数の上位2クラブとの同居もありグループリーグで敗退しますが、両者からゴールを奪いました。翌シーズンもリーグで8ゴール6アシスト、チャンピオンズ・リーグでも2ゴールを挙げて2年ぶりに決勝トーナメントに進みました。11/12シーズン途中にポルトへ戻り、モウチーニョらと共に優勝に貢献しました。
13/14シーズン途中にカタールへ移り、アル・ガラファ戦で初ゴール。ヤクブやウチェといったナイジェリアのFWと共に攻撃の中心となりますが、13位で降格しました。
15シーズンにサビオラと共にリーベルへ復帰しますがフル稼働には至らず、2年目の途中からブラジルでプレーしています。

2003年1月31日ホンジュラス戦で代表デビュー。翌年のアテネ五輪で6試合に出場し、イタリアとの準決勝でゴールを挙げ金メダルを獲得します。さらにコパ・アメリカでも2ゴールを挙げて決勝進出に貢献したことも評価され、南米年間最優秀選手の3位になりました。
ビエルサ監督からの信頼は厚く、2006年W杯予選ではレギュラーとして12試合に出場しますが、本大会では2戦目に負傷、ドイツ戦で復帰しますが敗れました。
2010年W杯予選は1試合に終わり、2連続出場はなりませんでした。
代表記録

※カピタル・フェデラル
2011年10月1日:新規アップ 2019年8月23日更新