ディエゴ・ゴディン(Diego GODIN)
フルネーム ディエゴ・ロベルト・ゴディン・レアル
国籍 ウルグアイ  
出身地 ロサリオ
生年月日 1986・2・16
身長 185cm
体重 73kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2005・10・26
メキシコ戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム ファラオ
個人タイトル 14UEFAベストイレブン
チームタイトル 11CONMEBOLコパ・アメリカ
11/12UEFAヨーロッパリーグ
12/13コパ・デル・レイ
13/14リーガ・エスパニョーラ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03 セッロ
04 セッロ 14
05 セッロ 47
05/06 セッロ
06/07 ナシオナル 26
07/08 ビジャレアル(スペイン) 4 24
08/09 ビジャレアル(スペイン) 4 31
09/10 ビジャレアル(スペイン) 4 36
10/11 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 25
11/12 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 27
12/13 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 35
13/14 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 34
14/15 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 34
15/16 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15 31
16/17 アトレティコ・マドリー(スペイン) 15    
恵まれたフィジカルによる空中戦や人への強さ、丁寧なカバーリングに加え、最後尾からのビルドアップやセットプレーでのヘッドと攻守にハイレベルな南米屈指のCBです。

幼少時代は水泳をしていましたが、14歳でサッカーに転向します。生まれ故郷ロサリオの下部組織を経て、17歳でセッロにてキャリアをスタートさせます。3年目には47試合に出場して強豪ナシオナルに引き抜かれます。国内リーグでは26試合に出場し、リベルタドーレスでもラウンド16のネカサ戦1stレグなど2ゴールを挙げてベスト8に進出しました。
これらの活躍でフォルランの推薦にペジェグリーニ監督も同調し、ビジャレアルと5年契約を結びます。2007年9月26日ラシン戦でリーガデビューし、10月7日オサスナ戦で初ゴールを挙げます。前半戦はベンチを温めましたが、冬以降先発に定着、UEFA杯にも7試合に先発しました。2年目はG・ロドリゲスやカプデビラなどとの4バックで31試合に出場して5位になります。チャンピオンズ・リーグでも7試合に出てベスト8に進みました。3年目は3ゴール2アシストと攻撃面でも非凡な才能を見せます。本拠ビルバオ戦でレッドを受けたものの、36試合に先発しました。ヨーロッパリーグでも6試合に出場しましたが、ヴォルフスブルクに敗れています。
10/11シーズンにフォルランが所属するA・マドリーに加入。リーグ開幕前のUEFAスーパー杯ではインテルを破りました。リーグでは25試合でゴールなしに終わったものの、ヨーロッパリーグや国内カップでは1ゴールずつ決めました。2年目はヨーロッパリーグでラツィオ相手に決勝ゴールを挙げ、国内でもエスパニョール戦で1ゴール1アシストとFW並みの働きを見せました。3年目はマドリード・ダービーでファルカオの先制ゴールを演出して優位に立ちましたが、味方のオウンゴールで同点にされてリズムを崩し、ディ・マリアに逆転ゴールを献上しました。
3年目までカップ戦含め毎年レッドを受けましたが、ミランダやクルトワら周囲の活躍もありチームの守備力が向上して4年目はレッド無しで乗り切り、リーグ最少の26失点になります。攻撃面でも国内カップで2試合連続ゴールを決めると、バルサとの最終節でヘッドを決めてクラブを18年ぶり10度目の優勝に導きました。マドリード・ダービーとなったチャンピオンズ・リーグ決勝でもヘッドで先制して最多優勝クラブの宿敵を追い詰めたものの、終了間際にS・ラモスに同点ヘッドを決められて緊張の糸が切れ、その後立て続けに3失点して2冠を逃しました。5年目の同大会では9試合出場、準々決勝で前年の雪辱を果たすチャンスを迎えますが、2ndレグで味方のアルダが退場して数的不利になり、エルナンデスに決勝点を献上しました。
6年目は国内リーグのバルサ戦でレッドを受けます。チャンピオンズ・リーグでは12試合に出場してバルサやバイエルンを撃破、2年ぶりのマドリード・ダービーとなった決勝ではスコアレスドローとなり、PK負けを喫して悲願達成はなりませんでした。

U−20では南米ユース杯で9試合と安定した働きを見せ、2005年10月26日のメキシコとの親善試合でフル代表にデビューします。2年後のコパ・アメリカでは準優勝になりましたが、先発出場は1試合にとどまりました。2010年W杯予選は16試合に出場して2大会ぶりの出場権獲得に貢献、本大会でも5試合戦ってベスト4に進出しました。
2011年コパ・アメリカは優勝こそしたものの、自身はわずか1試合の出場に終わりました。2013年コンフェデ杯は4試合戦いましたが、イタリアにPK戦の末敗れました。
2014年W杯予選は16試合出場。本戦では2戦目からケガで離れたルガノに代わって腕章を巻き、イタリア戦ではCKを背中で合わせる決勝点を挙げて前年の雪辱を果たしました。
2015年コパ・アメリカは3試合出ますが、アルゼンチンとチリに連敗しました。翌年はメキシコ戦でゴールを挙げますが、チームは連敗してグループリーグで敗退しました。
代表記録

2014年9月5日:新規アップ 2016年6月13日更新