リュドビク・ジュリ(Ludovic GIULY)
フルネーム リュドビク・ジュリ
国籍 フランス
出身地 リヨン
生年月日 1976・7・10
身長 164cm
体重 64kg
利き足
ポジション FW(RWG)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2000・3・29
スコットランド戦
代表背番号 10
W杯メンバー  
ニックネーム スーパーマウス
個人タイトル 02/03,03/04リーグアンベストイレブン(UNFP)
チームタイトル 99/00ディヴィジョンアン
02/03,09/10フランスカップ
03FIFAコンフェデレーションズ・カップ
04/05,05/06リーガ・エスパニョーラ
05/06UEFAチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94/95 リヨン
95/96 リヨン 36
96/97 リヨン  37 16
97/98 リヨン 10 19
97/98 モナコ 8 12
98/99 モナコ 8 32
99/00 モナコ 8 33
00/01 モナコ 8 30
01/02 モナコ 8 11
02/03 モナコ 8 36 11
03/04 モナコ 8 30 13
04/05 バルセロナ(スペイン) 8 29 11
05/06 バルセロナ(スペイン) 8 29
06/07 バルセロナ(スペイン) 8 27
07/08 ローマ(イタリア) 14 32
08/09 パリ・サンジェルマン 7 34
09/10 パリ・サンジェルマン 7 31
10/11 パリ・サンジェルマン 7 35
11/12 モナコ(2部) 8 27
12/13 ロリアン 19 17
13/14 MDAシャセレイ(4部) 8 17
14/15 MDAシャセレイ(4部) 8 18 11
15/16     
16/17     
小柄ですが俊足を生かした高速ドリブルが魅力のウインガーです。得点感覚にも優れており、フィニッシャーとしても機能します。

1990年に地元リヨンの育成機関に入り、94/95シーズンにトップへ昇格。1995年1月21日カンヌ戦でデビューを果たしてシーズン8試合出場。2年目にレギュラーに定着すると、3年目にに16ゴールを挙げて期待の若手として注目を集めました。
97/98シーズンの冬、約9億円の移籍金でモナコへ加入します。トレゼゲ、アンリ、イグペバの3トップを後方からサポートする役割になり、自らもWGでプレーしました。99/00シーズンに33試合で5ゴールを挙げてリーグ優勝の原動力となりました。
強い精神力と統率力も併せ持ち、01/02シーズンにはキャプテンに就任します。しかしケガに悩まされチームも15位と低迷しました。しかし翌シーズンにチームは爆発的な攻撃力でリーグ杯を制覇、ソショーとの決勝戦では2ゴールを挙げました。
02/03シーズンを2位で終えたチームはチャンピオンズ・リーグへ出場します。そして快進撃を見せ、自らの2ゴールでR・マドリーを破るなど決勝へ進出しました。ポルトとの決戦では相手GKとの交錯により途中で退きチームも敗れましたが、クラブ史上初の決勝進出の原動力となりました。国内でもPSGやリヨンなど3度の1試合2ゴールと自己最高の結果を残しました。
そしてバルセロナへ移籍。9月11日セビージャとの開幕戦でのリーガデビューをゴールで飾り、マラガやビジャレアル相手の1試合2ゴールなど11ゴールと決定力は相変わらずで、同時加入のエトー、デコ、ラーションらと共に5シーズンぶりの優勝に貢献したのです。
2年目のチャンピオンズ・リーグ準決勝では、負傷のメッシに代わり先発し値千金のゴールを挙げ、アーセナルとの決勝でも先発してクラブ2度目のビッグイヤー獲得を果たしました。
07/08シーズンに出場機会を求めてローマへ移籍。8月26日パレルモ戦でセリエAにデビューし、シエナとの2戦目で早くも初ゴールをマーク。フィオやミラン、ウディネーゼと難敵からなど合計32試合で6ゴールと役割を果たしました。
そして5年ぶりに母国へ復帰します。マケレレやケジュマンと共に名門復活への起爆剤としての活躍が期待され、オアロに次ぐ9ゴールを挙げます。加齢もありフル稼働とは行かないものの、ピッチでは違いを生み出し、10/11シーズンにヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。
契約満了で退団した後降格したモナコに復帰しますが、8位と昇格に手が届きませんでした。その後1部ロリアンでの17試合を最後に4部に移り、ゴヴと共にプレーしました。
15/16シーズンからフリーとなっています。

2000年3月29日スコットランド戦でフル代表デビューを果たします。2003年のコンフェデ杯では3試合出場してニュージーランドとの初戦でゴールを決めて連覇に貢献しました。
2004年欧州選手権は出場できず、2006年W杯にも4試合戦いましたが、リベリやマルダの台頭やドメネク監督との確執もあり、出場はなりませんでした。
代表記録

2006年2月12日:新規アップ 2016年6月20日更新