ジャン・ピエロ・ガスペリーニ(Gian Piero GASPERINI)
フルネーム ジャン・ピエロ・ガスペリーニ
国籍 イタリア  
出身地 グルリアスコ
生年月日 1958・1・26
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1994〜03 ユヴェントス・ユース
2003〜06 クロトーネ
2006〜10 2013〜16 ジェノア
2011〜11 インテル
2012〜13 パレルモ
2016〜   アタランタ
獲得タイトル  
選手時代はMF。9歳でユヴェントスの下部に入り1976年にトップに昇格します。しかしデビューはならず、レッジャーナへレンタルされました。その後パレルモで出場機会を獲得し、78/79シーズンの国内カップでは決勝に進出しますが、ユヴェントスに敗れました。
ペスカーラではジョヴァンニ・ガレオーネ監督の下でアッレグリらと共に中盤を支え、87/88シーズンからセリエAでのプレーを実現させました。

中盤をフラットに並べてピッチを広く使う3−4−3が得意で、サイド攻撃と最後尾からのビルドアップで素早くボールを前に運び、点を多く取って勝つサッカーを標榜します。
プロビンチャでの指揮が多く、入れ替わりの激しいスカッドを素早くまとめて組織力を高めます。また、ベテランの再生や若手の発掘・育成にも定評があります。

35歳で現役を退いた後、古巣ユヴェントスの下部組織で指導者としての活動を始めます。U−14、U−17、U−20チームを歴任し、合計9年間在籍しました。2003年にC1クロトーネで監督を務め、1年目でBに昇格。その後2年間もB残留に成功しました。
06/07シーズンにジェノアに就任し、ユヴェントスでの教え子であるFWスクッリを獲得。経験豊富なFWディ・ヴァイオやリベロのデ・ローザが攻守の軸となり、ユヴェントスとナポリに次ぐB3位となり、13年ぶりのセリエA復帰を果たします。2年目は古巣ユヴェントスからMFパーロを、ミランからは共同保有となったFWボッリエッロを獲得します。前者は精彩を欠きましたが、後者がリーグ3位の19ゴールと才能を開花させ、昇格1年目で9位と結果を残しました。
08/09シーズンはミリートをサラゴサから戻し、FWパッラディーノやMFガスパッローニと子飼い、無所属だったMFモッタを獲得。クラブ19年で最上位の5位となってヨーロッパリーグ出場権を得て、会長からファーガソン監督の名にちなみ「ガスパーソン」と称賛されました。
そしてモッタと24ゴールを挙げたミリートをインテルに売却した利益を元手に、FWフロッカリ、パラシオ、クレスポ、MFカルジャ、サパテルを獲得し、パレルモとの間でGKルビーニョとアメリアをトレードするなど積極的な補強で過密日程を見越した布陣を整えます。しかしヨーロッパリーグではグループリーグで敗退し、国内リーグでも9位と平凡な成績で終わりました。
10/11シーズンもDFラフィーニャ、カラーゼ、MFヴェローゾ、FWトニと各セクションに補強を施したものの、開幕10試合で11ポイントと低迷して11月に解任されました。
11/12シーズンに2年契約でインテルへ。53歳で初のビッグクラブ就任となり、モウリーニョ、ベニテス、レオナルドに続きクラブにとって1年で4人目の監督となります。ミリート、モッタ、ラノッキアの存在も戦術をチームに浸透させる上でプラスに働くかと思われました。
しかしトップ下を置く布陣を採用しないため、入団以来チームのキープレーヤーであるスナイデルの起用に悩みます。また、エトーやパンデフといった最前線でオールラウンドに動ける面々を放出し、ミリートやパッツィーニがいるCFに、チャンピオンズ・リーグのグループリーグに出場できないフォルランを獲得するなど、自らの戦術と現有戦力にギャップが生じました。
そして国内スーパー杯でミランに、リーグのパレルモ戦で敗北。ローマ戦はスコアレスドローでしたが、55年ぶりのセリエAとなるノヴァーラにも森本の活躍で敗れ、チャンピオンズ・リーグでもトラブゾンスポルに敗れ未勝利で解任されました(長友は公式戦4試合に先発)。
12/13シーズン、開幕から1分2敗で苦しむ古巣パレルモに就任。イリチッチをFWへコンバートさせて才能を促進させた以外は成果はなく、20試合でわずか3勝に終わり23節で解任、その後27、28節に指揮を執りましたが、1分1敗で2度目の解任となりました。
13/14シーズンの7節よりジェノアに約3年ぶりに復帰。SBのアントニーニをストッパーにすると、冬にはN・ブルディッソの加入で守備が安定、攻撃でもジラルディーノがコンスタントに働き、悠々と残留を決めました。翌シーズンはジラルディーノの穴をマトリやピニージャで埋め、ユヴェントスやミランに競り勝つなど、チームを欧州カップ戦圏内近くに導きました。
15/16シーズンはクツカとベルトラッチをミランに引き抜かれ、開幕5試合で4敗と最悪の立ち上がりとなります。冬にはぺロッティがローマに去りましたが、入れ替わりで加入してきたスソや2ケタゴールを決めるパボレッティの活躍により、11位となりました。
16/17シーズンにアタランタに就任。開幕5戦で1勝4敗と躓きますが、クロトーネ戦で勝利して以降は4敗しかせず、ヨーロッパリーグ圏内の4位と望外の成績を残しました。
インテルへガリアルディーニ、ミランへケシエ、ユヴェントスへカルダーラを放出しますが、2年目はイリチッチやデ・ローン、クリスタンテと中盤が機能して7位と2年連続でヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。同大会では決勝トーナメント初戦でドルトムントに敗れました。
3年目はヨーロッパリーグこそ予選で敗れますが、国内リーグはイリチッチ、A・ゴメス、新加入D・サパタの活躍で、クラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。

2017年9月3日:新規アップ 2019年6月8日更新

08/09ジェノア
  D・ミリート  
パッラディーノ スクッリ
クリッシト メスト
ユリッチ モッタ
ボッケッティ ビアーバ
  フェラーリ  
  ルビーニョ  

16/17アタランタ
 ペターニャ 
A・ゴメスクルティッチ
スピナッツォーラコンティ
フロイラーケシエ
マジエッロR・トロイ
 カルダーラ 
 ペリシャ 

18/19アタランタ(国内リーグ3位)
 D・サパタ 
A・ゴメスイリチッチ
ゴセンスハテブール
フロイラーデ・ローン
マジエッロマンチーニ
 パロミノ 
 ゴッリーニ