ガンソ(GANSO)
フルネーム パウロ・エンリケ・シャガス・ジ・リマ
国籍 ブラジル
出身地 アナニンデウア
生年月日 1989・10・12
身長 184cm
体重 73kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 2010・8・10
アメリカ戦
代表背番号 7 10
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 10ブラジルカップ最優秀選手
チームタイトル 10,11サンパウロ州選手権
10ブラジルカップ
11コパ・リベルタドーレス
12コパ・スダメリカーナ
12レコパ・スダメリカーナ
12ロンドンオリンピック銀メダル
所属クラブおよび背番号 出場 得点
08 サントス
09 サントス 31
10 サントス 11
11 サントス 13
12 サントス
12 サンパウロ 8
13 サンパウロ 8 31
14 サンパウロ 8 34
15 サンパウロ 8 31
16 サンパウロ 8
16/17 セビージャ(スペイン) 19 10
17/18 セビージャ(スペイン) 19
18/19 アミアン(フランス) 8 12
19 フルミネンセ    
広い視野と創造性、左足での正確なコントロールを軸にしてゲームを組み立てる司令塔。無論自らゴールを狙う力も持ち合わせています。

パウロ・エンリケ・シャガス・ジ・リマ、通称ガンソはパラー州アナニンデウアに生まれます。バルセロナでプレーしたジオヴァンニを輩出したT・ルソを経て15歳でパイサンドゥへ移り、2005年にはサントスに引き抜かれます。加入2年目に右ヒザじん帯を負傷して半年間の戦線離脱となりましたが、復帰後の08シーズンにペレが背負った背番号10を託されます。
2008年2月17日R・プレト戦に途中出場してプロデビュー。2年目から主軸となり、2009年2月15日グアラニ戦で初ゴールを挙げると、5月31日コリンチャンス戦では1試合2ゴールを挙げるなど好成績を残しました。ネイマールやロビーニョといったFWとの連係も冴えを見せ、10シーズンはカップに加え、サンパウロ州選手権でも19試合11ゴールと結果を残しますが、8月25日グレミオ戦で左ヒザじん帯を負傷しました。3月12日ボタフォゴ戦での復帰を自らゴールで祝い、2節後のモジミリン戦で全ゴールをおぜん立てし、4月末のサンパウロ戦でもゴールを挙げました。リベルタドーレスでも7試合1ゴール2アシストで優勝しました。
2011年末のクラブW杯では柏に勝利しますが、バルサには4失点と実力差を見せられました。翌年のリベルタドーレスでは12試合3得点を挙げますが、準決勝で敗退しました。
その後もケガに悩まされ、12シーズン途中にサンパウロに移るものの3試合で終了。13シーズンはL・ファビアーノやジャヂソンといった周囲との連携を深め、リベルタドーレスでは9試合出ましたが、ベスト16にとどまりました。15シーズンはリーグで10アシスト、16シーズンも州選手権で4得点、リベルタドーレスで11試合2得点5アシストとコンスタントに結果を残しました。
16/17シーズン、26歳にしてキャリア初の欧州となるセビージャへの移籍を決めます。9月10日ラス・パルマス戦でリーガデビューしますが、不本意な結果に終わりました。
18/19シーズンにアミアンへレンタル移籍されますが、前半戦12試合でノーゴール、アシストも2にとどまり、母国へ戻っています。

2009年のU−20W杯にエントリーされ7試合に出場。オーストラリア戦では1得点を挙げたものの、決勝でA・アユー擁するガーナにPK戦の末敗れました。
2010年W杯はバックアップメンバーにとどまり、終了後の8月10日アメリカ戦にてサントスでの僚友ネイマールと共にフル代表デビューを果たします。翌年のコパ・アメリカでは3アシストを見せましたが、パラグアイに封じられ準々決勝で敗退しました。
2012年五輪ではオスカルの台頭で控えとして2試合の途中出場に終わり、2年後のW杯でも序列を覆せず登録メンバーから漏れました。
2016年コパ・アメリカに追加招集されますが、出番はありませんでした。
代表記録

余談
・呼び名であるガンソはポルトガル語で「ガチョウ」という意味です。
2011年12月14日:新規アップ 2019年2月2日更新