トーマス・ガラセク(Tomas GALASEK) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | トーマス・ガラセク | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | チェコ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | フライデク・ミステク | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1973・1・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・3・8 フィンランド戦 |
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代表背番号 | 4 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ガラス | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 01/02,03/04エールディヴィジ | ||||||||||||||||||||||||||||
01/02,05/06オランダカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
06/07DFBカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 バニク・オストラヴァ | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 バニク・オストラヴァ | 30 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 バニク・オストラヴァ | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 バニク・オストラヴァ | 25 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 バニク・オストラヴァ | 26 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ウィレム(オランダ) | 16 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ウィレム(オランダ) | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ウィレム(オランダ) | 32 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ウィレム(オランダ) | 31 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 アヤックス(オランダ) 4 | 33 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 アヤックス(オランダ) 4 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 アヤックス(オランダ) 4 | 30 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 アヤックス(オランダ) 4 | 29 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 アヤックス(オランダ) 4 | 13 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 アヤックス(オランダ) 4 | 26 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ニュルンベルク(ドイツ) 6 | 32 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ニュルンベルク(ドイツ) 6 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 バニク・オストラヴァ 28 | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ボルシアMG(ドイツ) 8 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
精力的に動いて危険の芽を摘み、攻守のバランスを取ります。前がかりになるチームでは中盤の守備を一手に引き受けることも多く、戦術的に代えの利かない存在です。 1991年に地元B・オストラヴァでプロデビューし、カップウィナーズ杯でもプレーします。翌年にはレギュラーに定着し、通算121試合9得点の数字を残してウィレムへ移籍します。 アドリアーンセ監督に実力が認められ、フィンランド代表DFヒーピアと共に守備を担います。2年目は5位、3年目は2位と好成績を残し、チャンピオンズ・リーグにも出場しました。 00/01シーズン、アドリアーンセ監督と共にアヤックスへ移籍。自己最高の8得点を挙げ、R・クーマン監督にも重要視され2冠を達成。国内カップ準決勝PSV戦で得点を挙げました。 ファン・デル・ファールト、スナイデル、イブラ、SBトラベルシ、マクスウェルのカバーリングで攻撃的なチームに不可欠な存在となり、3年目はチャンピオンズ・リーグで8強になりました。 4年目は2度目のリーグ優勝を果たします。チャンピオンズ・リーグでは予備予選3回戦グラツァー戦で終了間際に欧州カップ初得点となるPKを決め、チームを本戦に導きました。 5年目は左ヒザの負傷で出遅れ、復帰後も鼠径部を痛めて2月に手術を受けました。6年目は国内カップを制しますが、マドゥーロの台頭もあり退団しました。 06/07シーズンにニュルンベルクへ移籍し、8月12日のシュツットガルト戦でブンデスリーガにデビュー。同胞ポラクらと中盤を安定させ、国内カップとUEFA杯出場権を獲りました。2年目は同大会に12試合出て決勝トーナメントに進みますが、、国内は過密日程で降格しました。 08/09シーズンに古巣に戻り、冬に加入したボルシアMGでは最年長でチームの降格を防ぎました。その後はエルランゲン・ブルックで3年間プレーしました。 U−21欧州選手権は1994年と96年に各2試合出ました。1995年3月8日フィンランド戦で代表デビュー、2000年欧州選手権予選、2002年W杯予選は計3試合に終わりました。 2004年欧州選手権予選は7試合に出場。主将として戦術的にも精神的にも欠かせない存在となります。本大会ではチームで唯一全5試合に先発してベスト4に進出しました。 2006年W杯予選では、アンドラ戦で代表初にして唯一の得点を挙げるなど9試合に出場、本大会でも2試合に出場しますが、グループリーグで敗退しました。 2008年欧州選手権は9試合、本大会は全3試合に出場しました。 代表記録 69試合1得点 2017年9月2日:新規アップ |