藤本 淳吾(Jungo FUJIMOTO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 藤本 淳吾(フジモト ジュンゴ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 神奈川県大和市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1984・3・24 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 69kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2007・3・24 ペルー戦 |
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代表背番号 | 17 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ジュンゴ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 06Jリーグ新人王 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 11AFCアジアカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
05 清水エスパルス(特別指定選手) 35 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 清水エスパルス 10 | 28 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
07 清水エスパルス 10 | 34 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
08 清水エスパルス 10 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
09 清水エスパルス 10 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10 清水エスパルス 10 | 32 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
11 名古屋グランパス 8 | 33 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
12 名古屋グランパス 8 | 33 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 名古屋グランパス 8 | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
14 横浜F・マリノス 25 | 26 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 横浜F・マリノス 25 | 19 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16 ガンバ大阪 25 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 ガンバ大阪 25 | 14 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
18 ガンバ大阪 25 | 21 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
19 ガンバ大阪 25 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 京都サンガ(J2) | |||||||||||||||||||||||||||||
広い視野を持ち、中央からのスルーパスやサイドからのクロスで攻撃にアクセントを加える司令塔。その高精度の左足からのFK、バイタルエリアでのシュートで自ら得点も狙います。 神奈川県大和市生まれ。日本リーグで強豪の一角、日本鋼管(後のNKK)でFWだった父、貢壽の存在もあり、練習や試合を観て幼少時代からサッカーに親しみます。 小学時代に横浜Mの下部組織マリノス・プライマリーに入団。大和市に引っ越すものの、横浜にこだわりました。中学2年時にユースへの昇格ができなくなったことを知らされサッカーから離れた時期もありましたが、父親がコーチを務める横浜栄FCで練習を再開しました。 桐光学園では高校選手権に出場できませんでしたが、3年時にインターハイでベスト8に進みました。川崎Fからオファーが来たものの固辞して筑波大へ進学し、レギュラーとして1,2年の大学選手権を制します。3年時には関東大学リーグで優勝し、ベストイレブンになりました。 4年間コンスタントに結果を残し、大学選抜に4年連続で選出されるなど大きな飛躍を遂げます。2005年に清水の特別指定選手となり、ナビスコ杯で1試合プレーしました。 2006年に正式に清水に入団し、引退した「ミスター・エスパルス」澤登の背番号10を受け継ぎます。3月5日甲府戦でプロデビューし、2試合目の名古屋戦で初得点を挙げる順調な滑り出しを見せます。終盤の2試合で5得点、11月23日川崎F戦でハットトリックを挙げました。リーグで28試合8得点の結果を残し、天皇杯でも3試合3得点の活躍で新人王になりました。 2年目も34試合7得点と結果を残しましたが、3年目の第19節大宮戦でタックルにより、左足じん帯損傷に腓骨骨折という大ケガを負いました。しかし10シーズンに右WGとして13得点10アシストと自己最高の成績を残し、ナビスコ杯はベスト4、天皇杯は準優勝になりました。 11シーズンにリーグ王者の名古屋へ引き抜かれます。ACLでは7試合で3得点を挙げると、リーグでもケネディや玉田といった面々と共にチームを浮上させました。 12シーズンはリーグ、ACL、リーグ杯で2点ずつ取りますが、タイトルにはつながりませんでした。13シーズンは鳥栖や横浜FM相手に決勝弾を挙げますが、無冠に終わりました。 14シーズンに横浜FMへ移り、中村俊の25番を受け継ぎます。しかし2年目以降はフル稼働できず、G大阪でも苦戦、19シーズンの途中に京都へレンタルされています。 U−16以降代表に選出され、3試合プレーしたU−17世界選手権を経てトルコでのユニバーシアードに出場。6得点で得点王となりチームを優勝に導いてMVPに選ばれました。 2007年3月24日ペルー戦でフル代表デビューします。2011年アジア杯ではバックアッパーとしてオーストラリアとの決勝など2試合に出場しました。 2014年W杯予選は2試合に出場しています。 代表記録 2011年10月11日:新規アップ 2019年7月16日更新 |