“サー”トム・フィニー(“Sir”Tom FINNEY) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | トーマス・フィニー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イングランド | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | プレストン | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1922・4・5 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 172cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 67kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(RWG CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1946・9・28 北アイルランド戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 50年 54年 58年 |
||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | プレストンの配管工 | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 53/54,56/57イングランド最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
46/47 プレストン・ノースエンド | 32 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
47/48 プレストン・ノースエンド | 33 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
48/49 プレストン・ノースエンド | 24 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
49/50 プレストン・ノースエンド | 37 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
50/51 プレストン・ノースエンド | 34 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
51/52 プレストン・ノースエンド | 33 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
52/53 プレストン・ノースエンド | 34 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
53/54 プレストン・ノースエンド | 23 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
54/55 プレストン・ノースエンド | 30 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
55/56 プレストン・ノースエンド | 32 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
56/57 プレストン・ノースエンド | 34 | 23 | |||||||||||||||||||||||||||
57/58 プレストン・ノースエンド | 34 | 26 | |||||||||||||||||||||||||||
58/59 プレストン・ノースエンド | 16 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
59/60 プレストン・ノースエンド | 37 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
両足を器用に使いこなし、スピード、得点センス、爆発的な威力の中距離砲を持つウインガー。両サイドに加え、中央でもプレーできるユーティリティー性を持っています。 見かけは色白で数字の上でも華奢な部類ですが、頑健で優れたボディバランスがあります。 プレストンのホームスタジアム、ディープデイルのすぐそばで生まれました。幼少時は病弱で、14歳で145cmしか身長がありませんでした。 15歳でブレストンと契約を交わしますが、戦争が始まったためリーグが中断します。自身はエジプトで従軍することになりました。その影響でデビューが先送りになり、1946年8月のリーズ戦にて24歳でプロデビューを果たし、すぐにレギュラーに定着しました。 その後一貫してプレストンでプレー。52/53シーズンにアーセナルと勝ち点差で並ぶものの得失点差で涙を呑み、翌53/54シーズンはFA杯決勝でWBAに敗れました。個人としては1954年、57年とイングランド最優秀選手を獲得しました。 1960年に38歳で現役を引退し、1979年には最優秀功労賞を受賞。2005年にはプレストンの会長に就任しました。 1946年9月28日の北アイルランド戦で代表デビューします。自身のポジションにはマシューズがおり、両足を使えることから左WGのレギュラーとなりました。 1950年W杯は3試合に出場。1954年大会で3試合戦い、準々決勝のウルグアイ戦でゴールを挙げました。1958年大会は唯一出場したソ連戦でゴールを決めました。 代表記録 76試合30得点 余談 ・配管工としても収入を得ていたため、「プレストンの配管工」というニックネームがあります。 2007年6月9日:新規アップ 2012年9月9日更新 |