ウバルド・フィジョール(Ubaldo FILLOL)
フルネーム ウバルド・マティルド・フィジョール
国籍 アルゼンチン  
出身地
生年月日 1950・7・21
身長 181cm
体重 83kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1974・7・3
東ドイツ戦
代表背番号 5 7 12
W杯メンバー 74年 78年
82年
ニックネーム エル・パト=アヒル
個人タイトル 77アルゼンチン年間最優秀選手
78FIFAワールドカップベストイレブン
チームタイトル 75,77,79〜81アルゼンチン全国選手権
78FIFAワールドカップ
88COMMEBOLスーペルコパ・スダメリカーナ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
69 キルメス
70 キルメス 33
71 キルメス 23
72 ラシン・クラブ 40
73 ラシン・クラブ 19
73 リーベル・プレート
74 リーベル・プレート 22
75 リーベル・プレート 58
76 リーベル・プレート 39
77 リーベル・プレート 56
78 リーベル・プレート 19
79 リーベル・プレート 37
80 リーベル・プレート 47
81 リーベル・プレート 43
82 リーベル・プレート 23
83 リーベル・プレート 14
83 アルヘンティノス・ジュニアーズ 17
84 フラメンゴ(ブラジル) 21
85 フラメンゴ(ブラジル) 13
85/86 アトレティコ・マドリー(スペイン) 17
86/87 ラシン・クラブ 13
87/88 ラシン・クラブ 35
88/89 ラシン・クラブ 23
89/90 ベレス・サルスフィエルド 23
90/91 ベレス・サルスフィエルド 19
上背はありませんが手足のリーチが長く、シュートへの読みや反応、的確なポジショニングでファインセーブを連発してアルゼンチンのW杯初制覇に貢献したGK。
1978年、83年、84年にはエル・ムンド紙の南米最優秀選手投票で2位になりました。

ブエノスアイレス州サン・ミゲル・デルモンテ生まれ。地元のキルメスでプロのキャリアを始め、1969年5月1日ボカ戦でトップデビューを果たします。
プロ2年目からレギュラーの座を確保し、ラシンを経て強豪リーベルに引き抜かれます。チームは波状攻撃を仕掛ける戦術でCBパサレラも攻撃参加が多く、時には一人で相手のカウンターに対峙するなど、単にゴールを守るだけにとどまらない働きを見せます。
75シーズンにクラブ18年ぶりのリーグ制覇に貢献。翌シーズンはリベルタドーレスで準優勝、80シーズンはアウェーのクラシコで5−2と快勝するなどリーグ3連覇を達成しました。
10年間リーベルのゴールを守り、アルヘンティノスを経て、アルゼンチン人としては珍しくブラジルのフラメンゴに2年間在籍。しかしいずれも優勝争いとは縁がありませんでした。
85/86シーズンにはA・マドリーへ移籍します。カップウィナーズ杯では決勝に進出してD・キエフと対戦しますが、ブロヒンらに3失点を献上して敗れました。
86/87シーズンにラシンへ戻り、90/91シーズンの12月にベレスで引退。偉大な功績により、国内1部リーグ最優秀GK賞には自らの名が冠されるようになりました。
その後は古巣ラシンやアルゼンチン代表でGKコーチを務めています。

23歳の時に1974年W杯メンバーに登録され、2次リーグの消化試合となった7月3日の東ドイツ戦で代表デビュー、1−1のドローに終わりました。
1978年大会には正GKとして全7試合で4失点に抑え、母国の初優勝に貢献。続く1982年大会も正GKとして活躍しましたが、イタリアとブラジルの前に2次リーグで姿を消しました。
1983年コパ・アメリカには3試合に出場しています。
代表記録 56試合

※サン・ミゲル・デル・モンテ
2017年11月25日:新規アップ