マイノル・フィゲロア(Maynor FIGUEROA)
フルネーム マイノル・アレクシス・フィゲロア・ロチェス
国籍 ホンジュラス M・フィゲロア
出身地 フティアパ
生年月日 1983・5・2
身長 180cm
体重 85kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2003・1・31
アルゼンチン戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 04,05,06ホンジュラス後期リーグ
06ホンジュラス前期リーグ
12/13FAカップ
16USオープンカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 ヴィクトリア
01/02 ヴィクトリア 22
02/03 オリンピア    
03/04 オリンピア    
04/05 オリンピア    
05/06 オリンピア    
06/07 オリンピア    
07/08 オリンピア    
07/08 ウィガン(イングランド) 31
08/09 ウィガン(イングランド) 31 38
09/10 ウィガン(イングランド) 31 35
10/11 ウィガン(イングランド) 31 33
11/12 ウィガン(イングランド) 31 38
12/13 ウィガン(イングランド) 31 33
13/14 ハル(イングランド) 3 32
14/15 ハル(イングランド) 3
14/15 ウィガン(イングランド2部) 31
15 コロラド・ラピッズ(アメリカ) 10
16 FCダラス(アメリカ) 31 28
17 FCダラス(アメリカ) 31 26
18 FCダラス(アメリカ) 31 16
19 FCダラス(アメリカ) 31    
上背こそ不足しているものの当たりには強く、堅実な守備で最終ラインの左側をカバーするスピードタイプのDF。鋭いフィードやロングスローもセールスポイントです。

家が貧しいためストリートで技術を磨き、小学校卒業後は働いて家計を助けました。それでも豊かな才能をヴィクトリアのスカウトに見初められて入団、01/02シーズンに台頭しました。
オリンピアではキャプテンとしてチームを多くのタイトルに導きました。MLSやメキシコリーグのクラブからオファーが届きますが、チームに残留しました。
07/08シーズン途中にウィガンへレンタル移籍し、4月5日バーミンガム戦でプレミアリーグにデビューします。翌シーズンからレギュラーに定着し、第21節トッテナム戦では初得点を記録するなど全試合に出場し、同胞のMFパラシオスらと共にプレミア残留に貢献します。
3年目はオリンピアの同僚トーマスが加入、12月には完全移籍となり安定感が増して35試合に出場。4年目はバーミンガム戦で終了間際に決勝点を挙げ、最終節ストーク戦でもロダジェガの決勝点をアシストしてプレミアに踏みとどまりました。5年目もGKアル=ハブシ、MFモーゼスと共に全試合に出場。6年目も3バックの一角を担いFA杯を制しますが、リーグで降格しました。
その後のハルではウィガン初年度以来ブルース監督に師事して3バックの左で定位置を確保、リーグ戦で32試合、FA杯では8試合に出場して準優勝になりました。
その後は低迷し、15シーズンよりMLSへ活躍の場を移します。8月15日サンノゼ戦でデビューしてスポルティングKC戦で点を取りますが、19位に終わりました。
翌シーズンにダラスへ移籍し、カップ戦を制しています。

U−20などユース時代を経て、2003年1月31日アルゼンチン戦でフル代表デビュー。2010年W杯予選では守備陣最多の14試合に出場し、21年ぶり2回目の出場に大きく貢献、本大会でも3試合フル出場を果たしました。
2012年の五輪はオーバーエイジで参加、4試合戦って日本と共にグループリーグ突破を果たしますが、ネイマールとL・ダミアンに計3点を許して準々決勝で敗れました。
2014年W杯予選は13試合、本戦も3試合先発と引き続き不可欠の存在となります。
ゴールド杯は2005年大会で5試合出場し、T・トバゴ戦で同点ゴールを挙げてベスト4、2007年大会はベスト8になりましたが、2015年大会はグループリーグ敗退となりました。
2018年W杯予選は16試合プレーしますが、メキシコに連敗しました。オーストラリアとの大陸間プレーオフでは3失点した後の終了間際に一矢を報いました。
代表記録

2012年8月1日:新規アップ 2019年6月22日更新