※1
フルネーム ※2
国籍 チリ※3  
出身地 ※4
生年月日 1986・5・15
身長 176cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2005・8・17
ペルー戦
代表背番号 14
W杯メンバー 10年
ニックネーム マティ
個人タイトル 06チリ年間最優秀選手
06南米年間最優秀選手(エル・パイース紙)
チームタイトル 06チリ前期リーグ
06チリ後期リーグ
15CONMEBOLコパ・アメリカ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04 コロコロ
05 コロコロ 14 29
06 コロコロ 14 30 20
06/07 ビジャレアル(スペイン) 21 20
07/08 ビジャレアル(スペイン) 14 30
08/09 ビジャレアル(スペイン) 14 21
09/10 スポルティング(ポルトガル) 14 28
10/11 スポルティング(ポルトガル) 14 21
11/12 スポルティング(ポルトガル) 14 20
12/13 フィオレンティーナ(イタリア) 14 22
13/14 フィオレンティーナ(イタリア) 14 23
14/15 フィオレンティーナ(イタリア) 14 29
15/16 フィオレンティーナ(イタリア) 14 22
16/17 ミラン(イタリア) 14 13
17/18 ネカサ(メキシコ) 3 20
18/19 ネカサ(メキシコ) 3 17
19 アトレティコ・ジュニオール(コロンビア) 18    
速さと技巧を織り交ぜたドリブル突破を得意としますが、広い視野でのゲームメークや遠めからのミドル、高精度のプレースキックと数多の方法で決定機を作り出すチリの至宝。ファンタジスタでありながらチームプレーを怠らない現代的な要素も特筆すべき点です。

アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにて、同国人の母親とチリ人の父親との間に生まれます。4歳で父親の祖国に移住し、12歳の時にコロコロの下部組織に入りました。
2004年8月17日U・チリ戦で1部にデビューし、1週間後のコブレサル戦ではプロ初ゴールを含む2ゴールを挙げるなど、後期リーグで通算8ゴールという成績を残しました。
06シーズンに30試合20ゴール(前後期含む)を挙げ、MFビダル、FWスアソ、A・サンチェスらと共に両リーグの完全制覇に貢献。コパ・スダメリカーナでも11試合で8ゴールを挙げてチームを決勝に導きました。この活躍で南米年間最優秀選手に選ばれました。
チェルシーやR・マドリーも興味を示す中、同胞のペジェグリーニ監督率いるビジャレアルに移籍し、2007年1月7日バレンシア戦でリーガデビューします。リケルメの代役として期待され、セナやピレス、イバガサなどベテランと競争し、R・マドリー戦では決勝点を演出するなど7アシストします。2年目も3ゴール2アシストが勝利につながり、UEFA杯でも4アシストしました。
3年目はアウェーのバルサ戦でジョレンテと共にゴールを挙げて引き分けに持ち込みました。チャンピオンズ・リーグは7試合に出場してベスト8に進んでいます。
09/10シーズン、ペジェグリーニ監督がR・マドリーへ引き抜かれて新体制になったこともあり、自らもスポルティングへ新天地を求めます。8月15日ナシオナル戦でリーグデビューし、10月27日ギマラエス戦の初ゴール以降3試合連続ゴールを記録。ヨーロッパリーグでもエヴァートンからゴールを奪いましたが、優勝するA・マドリーに敗れました。2年目は同胞J・バルデスの後援を受け、3年目はヨーロッパリーグに10試合出場してベスト4に進みました。
12/13シーズンにフィオレンティーナへ移り、9月2日ナポリ戦でセリエAにデビュー。ボルハ、アクイラーニ、クルティッチと層が厚く、自身の体調不良もありフル出場は厳しい状況でしたが、終盤のペスカーラ戦では1ゴール2アシストと実力の片りんを見せました。
3年目は先発が増えて6アシストし、ヨーロッパリーグで8試合に出場。国内カップも9試合に出て全コンペティションを4位で終えました。16/17シーズンにミランへレンタルされますが、不本意な結果に終わりました。シーズン終了後の大型補強もありメキシコへ渡ります。
2017年9月17日プエブラ戦でリーグデビュー。アウェーのレオン戦で得点を挙げて勝利しますが、終盤のS・ラグーナ、パチューカ戦で退場処分を受けました。
19シーズンにコロンビアへ移っています。

2005年Wユースでは4試合プレーし、ホンジュラス戦でゴールを挙げてベスト16に進出します。8月17日ペルー戦でフル代表デビュー。2006年W杯予選は1試合の出場に終わったものの、2007年コパ・アメリカでは準々決勝に進出しました。
2010年W杯予選は、15試合4ゴールで3大会ぶりの出場権獲得に貢献しますが、本大会は2試合の出場にとどります。2014年W杯予選は12試合戦い、アルゼンチン、コロンビア戦など3ゴールを挙げますが、右足首の手術により本大会には出場しませんでした。
2011年コパ・アメリカは1試合に終わります。4年後の大会はエクアドルとの初戦で退場しますが、4試合に出場して地元開催を優勝で飾りました。
5試合に出た2018年W杯予選は、ウルグアイとアルゼンチンに敗れました。
代表記録

※1:マティアス・フェルナンデス(Matias FERNANDEZ)
※2:マティアス・アリエル・フェルナンデス・フェルナンデス
※3:アルゼンチン国籍もあり
※4:ブエノスアイレス(アルゼンチン)
2015年12月18日:新規アップ 2019年8月1日更新