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フルネーム フラヴィオ・ダ・コンセイソン
国籍 ブラジル  
出身地 ※2
生年月日 1974・6・12
身長 177cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 1995・11・8
アルゼンチン戦
代表背番号 5 8 18 19
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 93,94ブラジル全国選手権
96アトランタオリンピック銅メダル
97,99CONMEBOLコパ・アメリカ
97FIFAコンフェデレーションズ・カップ
99/00,00/01,02/03リーガ・エスパニョーラ
01/02UEFAチャンピオンズ・リーグ
02FIFAインターコンティネンタル・カップ
04/05トルコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93 リオ・ブランコ(3部) 22
93 パルメイラス
94 パルメイラス 25
95 パルメイラス 48
96 パルメイラス 27
96/97 デポルティボ(スペイン) 16 12
97/98 デポルティボ(スペイン) 16 27
98/99 デポルティボ(スペイン) 16 31
99/00 デポルティボ(スペイン) 16 27
00/01 レアル・マドリー(スペイン) 16 14
01/02 レアル・マドリー(スペイン) 16
02/03 レアル・マドリー(スペイン) 16 22
03/04 ドルトムント(ドイツ) 6 14
04/05 ガラタサライ(トルコ) 8 27
05/06 パナシナイコス(ギリシャ) 6 14
積極的なタックルや的確なカバーリングでピンチを未然に防ぐブラジル代表ボランチ。ミドルシュートやカウンターの起点になるロングパスなどキック力も特長です。

3部リオ・ブランコからキャリアを始め、強豪パルメイラスに引き抜かれます。ジーニョ、エヴァイール、サンパイオと横浜Fでも活躍する面々に加え、リヴァウド、R・カルロス、ザーゴと強力なスカッドの一員として93,94シーズンの国内リーグを連覇しました。
五輪の活躍により、リヴァウドと共にデポルティボに入ります。同胞の先達M・シウヴァやドナトとのコンビネーションで守備を安定させると、2年目以降は同胞ジャウミーニャのファンタジーを引き出す働きを見せ、4年目にクラブ初のリーグ優勝を達成しました。
00/01シーズンにR・マドリーへ。中盤の軸は同時加入のマケレレとなり、エルゲラやカンビアッソと出番を争います。3年目はセビージャ戦でロングシュートを決めるなど3度目のリーグ優勝を達成。チャンピオンズ・リーグでも3年で計20試合に出て2年目に優勝しました。
フィーゴ、ジダン、ロナウドといったスターと生え抜きのチームに編成されるため、03/04シーズンにドルトムントへレンタルされます。8月2日ルール・ダービーでのブンデスリーガデビューをゴールで飾り、2点ビハインドのゲームを引き分けに持ち込みました。
パナシナイコスではチャンピオンズ・リーグに5試合出場しますが、バルサとブレーメンに5失点と守備が崩壊しました。国内リーグはケガで14試合にとどまり32歳で引退しました。

1995年11月8日アルゼンチン戦で代表デビューします。翌年のアトランタ五輪はナイジェリアとの準決勝で2ゴールを挙げるものの、終盤にカヌに連発されて敗れました。その後ポルトガルとの3位決定戦でもゴールを決め、銅メダルを獲得しました。ゴールド杯では4試合に出て準優勝し、2年後の同大会も5試合に出て3位になりました。
1997年コパ・アメリカでは主将ドゥンガのパートナーとして5試合戦い、ペルーとの準決勝でゴールを挙げて優勝に貢献。同年のコンフェデも4試合に出て優勝しました。
1998年W杯はサンパイオの前に落選しますが、翌年のコパ・アメリカでもパルメイラス時代の恩師ルシェンブルゴの下で5試合戦い、ゼ・ロベルト、エメルソンとの3センターで6度目の優勝を果たしました。コンフェデも5試合戦いますが、決勝でメキシコに敗れて連覇を逃しました。
2002年W杯予選は2試合にとどまり、本大会出場は果たせませんでした。
代表記録 44試合4得点

余談
・1997年8月13日の日本戦で、ミドルを2発決めています。

※1:フラヴィオ・コンセイソン(FLAVIO CONCEICAO)
※2:サンタマリア・ダ・セーラ
2017年12月23日:新規アップ