ジェフェルソン・ファルファン(Jefferson FARFAN)
フルネーム
国籍 ペルー
出身地 リマ
生年月日 1984・10・28
身長 174cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2003・2・23
ハイチ戦
代表背番号 10 17
W杯メンバー 18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 01,03ペルーリーグ
01,04ペルー前期リーグ
03ペルー後期リーグ
04/05〜07/08エールディヴィジ
04/05オランダカップ
10/11DFBカップ
15/16カタールカップ
16/17ロシアカップ
17/18ロシアリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01 アリアンサ・リマ
02 アリアンサ・リマ 24
03 アリアンサ・リマ 33 12
04 アリアンサ・リマ 34 13
04/05 PSV(オランダ) 17 28
05/06 PSV(オランダ) 17 31 21
06/07 PSV(オランダ) 17 30 21
07/08 PSV(オランダ) 17 29
08/09 シャルケ(ドイツ) 17 31
09/10 シャルケ(ドイツ) 17 33
10/11 シャルケ(ドイツ) 17 28
11/12 シャルケ(ドイツ) 17 23
12/13 シャルケ(ドイツ) 17 27
13/14 シャルケ(ドイツ) 17 19
14/15 シャルケ(ドイツ) 17
15/16 アル・ジャジーラ(カタール) 17
16/17 アル・ジャジーラ(カタール) 17
16/17 ロコモティフ・モスクワ(ロシア) 8
17/18 ロコモティフ・モスクワ(ロシア) 8 22 10
18/19 ロコモティフ・モスクワ(ロシア) 8    
ピサロ以来となる国際基準のペルー代表アタッカー。速くて巧みなドリブルで中に切れ込みシュートを放つほか、チャンスメーク能力にも長けているため、サイドでの起用も増えています。
クレバーな頭脳の持ち主で順応性も高く、冷静な性格も長所のひとつです。

少年時代はデポルティボ・ムニシパルのジュニアチームで過ごし、2001年に16歳で国内の名門アリアンサ・リマに移籍します。おりしもクラブが下部組織の改革に着手し始めた頃であり潜在能力を開花させ、すぐにトップチームから召集され出場機会も与えられました。ペルーでの最後のシーズンは13ゴールを挙げて、リーグ優勝に貢献する原動力となりました。
04/05シーズンにPSVと4年契約を結び、8月14日RBC戦でエールディヴィジにデビューします。ヒディンク監督のもとヨーロッパ初挑戦ながら驚くべき適応力を見せ、V・O・ヘッセリンクやパク・チソンらと共に攻撃陣を形成して国内を制すると、チャンピオンズ・リーグでも1ゴールではありましたが、13試合に出場して準決勝進出の立役者の一人となったのです。
2年目はアウェーRKC戦でのハットトリックなど21ゴールを挙げると、チャンピオンズ・リーグでも本拠ミラン戦で決勝ゴールを決め、決勝トーナメントに進みました。翌シーズンもスパルタ戦でハットトリックを達成し、4度の1試合2ゴールと前年と同様の結果を残しました。
自身の安定した活躍によりチームは国内で無類の強さを見せ、4連覇を置き土産にシャルケと4年契約を結びます。移籍初ゴールはチームのシーズン最初の試合となる国内カップのホンブルク戦で、9月13日ドルトムントとのリーグデビュー戦でもゴールと瞬く間に結果を出します。2年目は全ゴールがチームの勝利に結びつくこととなり、リーグ2位に浮上しました。
3年目は後に内田、前にラウールとフンテラールが加入。開幕から苦戦を強いられ、リーグで3ゴールに終わり14位と低迷しましたが、その分チャンピオンズ・リーグで10試合戦い、バレンシアとの決勝トーナメント初戦での2ゴールなど合計4ゴールでクラブ初のベスト4になり、国内カップ決勝で3アシストを見せ優勝に貢献するなど、カップ戦で結果を残しました。
4年目はチーム最多タイの8アシストを決め、終盤のルールダービーでは敗れたものの一矢報いるなど戦う姿勢を見せ、チームを2季ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場圏内に導きました。5年目はアウクスブルク戦で3アシストするなど安定した働きを見せ、チャンピオンズ・リーグでもアーセナルとの2戦で1ゴール1アシストで連勝する原動力になり早々とベスト16進出を決めました。6年目はチャンピオンズ・リーグのプレーオフPAOK戦で2連続ゴールを挙げると、国内リーグでも加入以来最少出場ながら最多タイの9ゴールと2年ぶりの3位に役割を果たしました。
カタールを経てL・モスクワに移り、7月18日アルセナル・T戦でロシア1部デビュー。続くC・モスクワ戦でゴールを挙げると、ゼニト戦の2ゴールなど11ゴールでリーグ優勝を果たしました。ヨーロッパリーグでも3ゴールしますが、優勝するA・マドリーに大敗しました。

18歳にしてフル代表デビューしたのは、2003年2月23日のハイチ戦でした。2006年W杯予選は敗退しますが、17試合戦い南米2位タイとなる7ゴールを挙げました(1位はロナウド。同数でクレスポ、J・カルドーソ)。2004年と2007年のコパ・アメリカにも出場しましたが、協会との関係が悪化、2010年W杯予選の出場は4試合でノーゴールに終わりました。
2014年W杯予選は11試合戦います。ウルグアイ、チリ、ベネズエラ相手に5ゴールと活躍したものの、チームの結果には結び付きませんでした。
2015年コパ・アメリカは4試合で不発に終わりました。2018年W杯予選は6試合に出場、チリとパラグアイに計3ゴール、ニュージーランドとのプレーオフ2ndレグで先制点を挙げて母国36年ぶりの出場に貢献。本大会はデンマークとフランスに連敗しました。
代表記録

※:ジェフェルソン・アグスティン・ファルファン・グァダルペ
2007年2月27日:新規アップ 2018年7月17日更新