ラダメル・ファルカオ(Radamel FALCAO)
フルネーム ラダメル・ファルカオ・ガルシア・サラテ
国籍 コロンビア
出身地 サンタマルタ
生年月日 1986・2・10
身長 177cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・2・7
ウルグアイ戦
代表背番号
W杯メンバー 18年
ニックネーム
個人タイトル 10/11UEFAヨーロッパリーグ得点王(17得点)
12FIFA/FIFProベストイレブン
チームタイトル 08アルゼンチン後期リーグ
09/10,10/11ポルトガルカップ
10/11ポルトガルリーグ
10/11,11/12UEFAヨーロッパリーグ
16/17リーグアン
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04/05 リーベル・プレート(アルゼンチン) 31
05/06 リーベル・プレート(アルゼンチン) 31
06/07 リーベル・プレート(アルゼンチン) 11 20
07/08 リーベル・プレート(アルゼンチン) 9 27 11
08/09 リーベル・プレート(アルゼンチン) 9 32 13
09/10 ポルト(ポルトガル) 9 28 25
10/11 ポルト(ポルトガル) 9 22 16
11/12 アトレティコ・マドリー(スペイン) 9 34 24
12/13 アトレティコ・マドリー(スペイン) 9 34 28
13/14 モナコ(フランス) 9 17
14/15 モナコ(フランス) 9
14/15 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 9 26
15/16 チェルシー(イングランド) 9 10
16/17 モナコ(フランス) 9 29 21
17/18 モナコ(フランス) 9 26 18
18/19 モナコ(フランス) 9    
身体的には小柄な部類ですが両足を使いこなし、絶妙な裏への抜け出しやダイレクトボレーと、メッシも絶賛するほどの個人能力でゴールを重ねるコロンビア代表ストライカー。
元ブラジル代表で、日本代表監督も務めたファルカンが名前の由来です。

サッカー選手である父親の影響を受けて早くからボールに親しみます。ミジョナリオスで2年過ごした後14歳でアルゼンチンのリーベルに入団して4年間練習を積みました。
2005年3月6日のインスティトゥート・コルドバ戦でトップリーグデビューし、いきなり2点を取ります。2年目は7試合で7ゴールと決定力を見せますが、右ヒザじん帯を損傷しました。
2006年1月にも練習中に負傷して戦線を離脱するなど不遇の時を過ごしましたが、2007年秋にスタメン復帰を果たします。そして9月27日のコパ・スダメリカーナ、ボタフォゴ戦2ndレグではハットトリックを達成してベスト4進出に貢献。翌月7日のボカとのスーペル・クラシコでもゴールを挙げるなど、それまでの離脱を埋め合わせて見せたのです。これらの活躍で年末にはエル・パイース紙による南米年間最優秀選手投票では40票を集め5位になりました。
08シーズンにはシメオネ監督の下で自身初のリーグ制覇を達成、リベルタドーレスでも4ゴールを決めるなど、リーベルでの全コンペティションで111試合で45ゴールを挙げました。
09/10シーズンにポルトと4年契約を結びます。リヨンへ去ったL・ロペスの後釜としての活躍が期待され、8月16日フェレイラ戦でのリーグデビューをゴールで飾ります。この試合含め開幕から3戦連続ゴールを決め、スポルティング戦でもリーグのホームゲームで1点、2月2日国内カップ準々決勝で2点、さらに決勝でもゴールを挙げてタイトル獲得に貢献するなど瞬く間にチームにフィットします。ウルグアイ代表ロドリゲスやブラジル代表フッキといった南米勢で組む前線でチームをけん引、最終的にはリーグタイトルは逃したものの、得点王になったベンフィカのカルドーソに1点差に迫る25ゴールを挙げて期待に応えました。チャンピオンズ・リーグでも8試合で4ゴールを挙げ、決勝トーナメントのアーセナル戦では結果的に大敗しますが、1stレグでゴールを挙げてチームに勝ちをもたらし常連を追い詰めました。また、国内のカップ戦でも大会最多ゴールを挙げて優勝に貢献するなど、1年目から恐るべき適応力を見せました。
2年目も国内ではベンフィカなどから1試合2ゴールを4度記録。ヨーロッパリーグでもR・ウィーン戦とS・モスクワ戦でハットトリックを達成し、ビジャレアルとの準決勝1stレグでは4ゴールを挙げ、同国対決となった決勝でもチームにタイトルをもたらすヘディングを決め14試合で17ゴールを記録、これによりクリンスマンが持つ1シーズンの最多記録15を更新しました。
11/12シーズンにクラブ記録の移籍金でA・マドリーに引き抜かれます。9月10日バレンシア戦でリーガデビューし、ラシン戦やR・ソシエダ戦でのハットトリックなどリーグ3位の24ゴールを記録。ヨーロッパリーグでも、同国対決となったバレンシアとの準決勝1stレグや決勝ビルバオ戦での2ゴールなど14試合で12ゴールを挙げ、クラブをまたいで連覇します。2年目もチェルシーとのUEFAスーパー杯でハットトリックを決めると、国内カップではセビージャの両雄からゴールを挙げて優勝に貢献。国内リーグでもビルバオ戦でのハットトリックからの7試合連続ゴールや、デポルティボとのアウェー戦での1試合5ゴールなど28ゴールを挙げました。
13/14シーズンにモナコへ巨額の移籍金で加入。ポルトでの同僚J・モウティーニョやJ・ロドリゲスと再び攻撃陣を形成、ボルドーとの開幕戦から2試合連続ゴールを決めると、マルセイユやPSGといった重要な相手からのゴールでチームに勝ち点をもたらします。しかし2014年1月22日のフランス杯で左前十字じん帯を損傷してシーズンが終わりました。
14/15シーズン開幕後にマンチェスター・Uへレンタルで移り、9月14日のQPR戦でプレミアデビュー。4ゴールのうち2つがアウェーでの同点ゴールとなりました。翌シーズンにチェルシーへレンタルされますが、低調なチームと同調する結果しか残せませんでした。
16/17シーズンにモナコに復帰します。ボルドー戦のハットトリックなど21ゴールを挙げ、主将としてムバッペなど多くの若手有望株をけん引して17年ぶりの優勝に大きく貢献。チャンピオンズ・リーグでも予備選フェネルバフチェ戦で2連発し、本大会でもマンチェスター・Cやドルトムント戦など8試合5ゴールでベスト4に進出して復活をアピールしました。
翌シーズンも開幕から4試合連続、ディジョン戦のハットトリック含む計7ゴールをマーク。ニース戦の大敗を挟みストラスブール戦から4試合連続で6ゴールと序盤に爆発しました。しかし終盤のPSG戦でオウンゴールを喫し、チームも1−7と大敗しました。チャンピオンズ・リーグではグループリーグで3連発するものの、いずれも負け試合となりました。

コロンビア代表ではU−17からプレーしており、2005年のWユースでは2ゴールを挙げてベスト16に進出しますが、メッシ擁するアルゼンチンに敗れました。
2007年2月7日ウルグアイ戦でフル代表デビューし、6月3日モンテネグロとの親善試合で初ゴールを挙げます。2010年W杯予選では10試合に出場するもペルー戦での1ゴールに終わり、母国3大会ぶりの出場権獲得はなりませんでした。2011年コパ・アメリカでは4試合戦い、ボリビア戦で2ゴールを挙げます。しかし準々決勝ペルー戦でPKをミスして敗退しました。
2014年W杯予選でもウルグアイ、チリ、パラグアイと前回大会に出場した国など計9ゴールを奪い、4大会ぶりの出場権獲得に貢献します。本大会の得点王候補でしたがクラブの試合でヒザを負傷し、懸命のリハビリも全快には至らず出場を辞退しました。
2015年コパ・アメリカは4試合で不発に終わりました。2018年W杯予選は8試合戦いブラジル戦で同点ゴールを挙げました。本戦はポーランド戦で中押し点を取りました。
代表記録

※:エル・ティグレ=虎
2011年11月12日:新規アップ 2018年7月8日更新