ジャチント・ファケッティ(Giacinto FACCHETTI)
フルネーム ジャチント・ファケッティ
国籍 イタリア
出身地 トレヴィリオ
生年月日 1942・7・18
身長 189cm
体重 86kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK FK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1963・3・27
トルコ戦
代表背番号
W杯メンバー 66年 70年
74年
ニックネーム 鉄のキャプテン
個人タイトル  
チームタイトル 62/63,64/65,65/66,70/71セリエA
63/64,64/65UEFAチャンピオンズ・カップ
64,65FIFAインターコンティネンタル・カップ
68UEFA欧州選手権
77/78コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
60/61 インテル
61/62 インテル 15
62/63 インテル 31
63/64 インテル 32
64/65 インテル 32
65/66 インテル 32 10
66/67 インテル 34
67/68 インテル 28
68/69 インテル 30
69/70 インテル 28
70/71 インテル 30
71/72 インテル 27
72/73 インテル 29
73/74 インテル 28
74/75 インテル 23
75/76 インテル 28
76/77 インテル 27
77/78 インテル 18
1960年代に欧州を席巻した「グランデ・インテル」の中心選手。恵まれた体躯と俊足の持ち主で、DFとは思えない攻撃力があります。カードを受けやすいポジションでありながら、リーグでの退場処分が一度もない守備能力の高さも見逃せません。
また、チームの精神的支柱でもあり、クラブと代表の両方で主将を務めています。

インテルの下部組織であるアマチュアのトレビリエーゼでのプレーを経て、インテルとプロ契約を交わします。1961年5月21日ローマ戦でセリエAデビューし、FWとしてプレーしていたところを「魔術師」エレーラ監督により左SBへコンバートされました。
当初は戸惑いながら試合に出ていましたが、短距離走の選手として活躍していた時期もあり、類まれなスピードとスタミナを駆使して「カテナチオ」からのカウンターの先鋒となります。また、FKを蹴らない割にゴールも量産、攻守両面に八面六臂の活躍を見せました。
62/63シーズンから4度のスクデットを獲得。翌シーズンにはチャンピオンズ杯決勝でR・マドリーを、インターコンティネンタル杯ではインデペンディエンテを下して世界一になりました。
64/65シーズン、チャンピオンズ杯準決勝リヴァプール戦2ndレグでは貴重なゴールを挙げ、決勝でエウゼビオ擁するベンフィカを破って連覇を達成。インターコンティネンタルでもインデペンディエンテの雪辱を許さず2年連続で世界一となりました。これにより、1965年のバロンドール投票ではタイトルを手にしたエウゼビオに次ぐ得票数を獲得しました。
キャリア終盤にはポジションを中央に移し、77/78シーズンの国内カップ獲得を最後に現役引退。セリエA通算475試合に出場して59ゴールを記録しました。
その後はフロントに入って現役時代同様長期に渡りチームを支え、2004年には会長に就任します。しかし病気で体調を崩し、2006年9月4日に64歳でこの世を去りました。その後、生前の功績をたたえられ背番号3は永久欠番となりました。

1963年3月27日トルコ戦で代表デビュー、1966年W杯では北朝鮮に敗れるなどまさかのグループリーグ敗退となりますが、その後24歳の若さで主将を任されます。
地元開催の1968年欧州選手権では決勝でオシム擁する旧ユーゴに勝ち、母国の初優勝をローマのオリンピコで祝いました。1970年W杯ではりヴェラやマッツォーラらと共に6試合プレーしますが、決勝でブラジルに敗れて準優勝になりました。
94試合出場のうち、主将を務めた試合は70試合にも達しました。
代表記録 94試合3得点
2009年2月15日:新規アップ 2012年9月6日更新

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