パトリス・エヴラ(Patrice EVRA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | パトリス・エヴラ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | フランス | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・5・15 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 175cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(LSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2004・8・18 ボスニア・H戦 |
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代表背番号 | 3 13 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 10年 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 03/04リーグアン年間最優秀若手選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
03/04リーグアンベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
06/07,08/09,09/10プレミアリーグベストイレブン(PFA) | |||||||||||||||||||||||||||||
09FIFA/FIFProベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 05/06,08/09,09/10イングランドリーグ・カップ | ||||||||||||||||||||||||||||
06/07~08/09,10/11,12/13プレミアリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
07/08UEFAチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
08FIFAクラブワールドカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
14/15,15/16セリエA | |||||||||||||||||||||||||||||
14/15,15/16コッパ・イタリア | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 マルサラ・カルチョ(イタリア3部) | 24 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 モンツァ(イタリア2部) | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ニースB(4部) | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ニース(2部) | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ニース(2部) | 35 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 モナコ 3 | 36 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 モナコ 3 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 モナコ 3 | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 モナコ 3 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 28 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 38 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 35 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 37 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 34 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 3 | 33 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 ユヴェントス(イタリア) 33 | 21 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 ユヴェントス(イタリア) 33 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 ユヴェントス(イタリア) 33 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 マルセイユ 21 | 11 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 マルセイユ 21 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 ウェストハム(イングランド) 27 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 ウェストハム(イングランド) 27 | |||||||||||||||||||||||||||||
スピードとスタミナを兼備した攻撃志向の強い左SB。中盤との連係で一気に前線へ攻めてクロスを供給します。フィジカルも強く、デシャンいわく「リザラズをほうふつとさせる」選手です。 同国代表MFヴィエラと同じくセネガルのダカールに生まれます。親が外交官だったため3歳の時にフランスのパリに移住、6歳の時にはベルギーのブリュッセルに引っ越すなどしていましたが、フランスのレス・ウリスという都市で育ちます。当初はFWとしてプレーしていました。 1997年、16歳の時にPSGの下部組織に入団しますが、間もなくイタリアへ渡って実戦感覚を磨きます。ここで結果を残してセリエBモンツァへ移籍し、A昇格も経験しました。 そして母国2部のニースへ加入。34試合1得点と結果を出して2部リーグの最優秀左SBにも選ばれ、チームも1部昇格を果たします。02/03シーズンに強豪モナコへの移籍を果たし、8月3日トロワ戦でフランスリーグデビュー。デシャン監督によりレギュラーとして起用され、左サイドでロテンと連携を深め攻撃を活性化させてチームを2位に押し上げます。さらにクラブ初のリーグ杯も獲得し、主将を任されるなどチームの中心的存在となりました。 03/04シーズンはチャンピオンズ・リーグで13試合に先発出場、準々決勝でR・マドリー、準決勝でチェルシーを破るなど決勝進出を果たしますが、モウリーニョ監督率いるポルトに敗れます。チームはその後下降気味になり、デシャン監督もシーズン途中で退任しました。しかし好調の自身は05/06シーズン途中でマンチェスター・U入りが決まり、2006年1月14日のマンチェスターダービーにおいてプレミアデビュー。翌シーズンのエヴァートン戦でプレミア初ゴールをマークし、チャンピオンズ・リーグでもローマ戦でシーズン2点目を取りました。 やがてアルゼンチン代表エインセらとのポジション争いを制し、レギュラーとして活躍。PFAによるベストイレブンに選出されるなど、リーグ屈指のSBとしての地位を確立させました。 07/08シーズンのチャンピオンズ・リーグでは10試合に先発し、決勝では同国のチェルシーを下しましたが、翌年には同じ舞台でバルセロナの軍門に下りました。その後2年連続でリーグベストイレブンになり、ヴィディッチ欠場時に腕章を巻くなどチームでの重要度を高めます。10/11シーズンの11月20日ウィガン戦では、久々にゴールを決めています。12/13シーズンはセットプレーからの巧みなヘッドなどで自己最多の4ゴールを挙げ、2年ぶりのリーグ優勝を果たしました。 14/15シーズンにユヴェントスと2年契約を交わし、9月13日ウディネーゼ戦でセリエAにデビューします。アサモアのケガもあり、左サイドで21試合に出て国内2冠になりました。チャンピオンズ・リーグでも10試合に出場して準優勝になりました。2年目はローマとの2戦目でレッドを受けますが、復帰後は2得点3アシストと結果を残して国内タイトルを防衛しました。 16/17シーズン途中に母国リーグに復帰します。2年目のヨーロッパリーグ、ギマラエス戦の試合前に自チームのサポーターに暴行し、クラブから解雇されました。 17/18シーズンの途中にウェストハムへ加入しています。 U-21を経て2004年8月18日ボスニア・H戦でフル代表デビューしますが、リザラズやアビダルの存在があり、2006年W杯や2008年欧州選手権予選での招集は多くありませんでした。しかし欧州選手権本大会では、グループリーグ3試合のうち2試合にフル出場しました。 2010年W杯予選は10試合に出場します。主将として臨んだ本大会でしたが、ドメネク監督との間に確執があり、練習をボイコットしてチーム内紛の火種となりました。 2012年欧州選手権予選では中盤以降5試合に出場。本戦では初戦のみ出場し、その後はクリシの存在によりベンチを温めました。 2014年W杯予選は8試合出場。スペインと1勝1分に終わると、プレーオフでウクライナを逆転で下して2大会出場を決めます。モナコで師事したデシャン監督からの信頼は変わらず、本大会でもグループリーグ突破を決めた後のエクアドル戦以外4試合に先発しました。 2016年欧州選手権は全7試合に出ますが、地元での優勝はなりませんでした。2018年W杯予選も1試合にとどまっています。 代表記録 ※:ダカール(セネガル) 2008年3月4日:新規アップ 2018年8月19日更新 |