ジョエル・エパル(Joel Epalle)
フルネーム ジョエル・ドゥドネ・マルティン・エパル・ネワカ
国籍 カメルーン  
出身地 マトン
生年月日 1978・2・20
身長 169cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK FK
キャプテン経験  
代表デビュー 1995・11・26
ガボン戦
代表背番号 14
W杯メンバー 02年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 97カメルーンカップ
00シドニーオリンピック金メダル
02CAFアフリカネーションズ・カップ
03/04ギリシャリーグ
03/04ギリシャカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 ウニオン・ドゥアラ    
97 ウニオン・ドゥアラ    
97/98 エスニコス(ギリシャ) 16
98/99 エスニコス(ギリシャ) 23
99/00 エスニコス(ギリシャ2部) 14
99/00 パナハイキ(ギリシャ) 15
00/01 パナハイキ(ギリシャ) 21
01/02 パナハイキ(ギリシャ)
01/02 アリス(ギリシャ) 10
02/03 アリス(ギリシャ) 26
03/04 パナシナイコス(ギリシャ) 15
04/05 イラクリス(ギリシャ) 12
05/06 イラクリス(ギリシャ) 29 13
06/07 イラクリス(ギリシャ) 14
06/07 ボーフム(ドイツ) 20 17
07/08 ボーフム(ドイツ) 20 26
08/09 ボーフム(ドイツ) 20 22
09/10 ボーフム(ドイツ) 20 27
10/11 バクー(アゼルバイジャン) 10
10/11 イラクリス(ギリシャ) 10
12/13 サラワク(マレーシア)
スピードあるドリブルとパスセンスにより、サイドハーフからSTまで攻撃的な役割全般でプレーできます。また、セットプレーのキッカーも務めるカメルーン代表です。

U・ドゥアラでプレーを始めたエパレは、2シーズン戦った後ギリシャに渡ります。しかし1年目から残留争いに苦心し、2年目に18位で降格となりました。
99/00シーズン途中にパナハイキへ移ります。ここではカツラニスなどと中盤でプレーしましたが、目立った成績を残せませんでした。アリスでは南アフリカ代表DFモリスと共に主軸としての手ごたえを得てパナシナイコスに引き抜かれますが、バシナスやコンスタンティニディス、デンマーク代表ミカエルセンと競争が激しく、国内2冠も不完全燃焼に終わりました。
04/05シーズンにイラクリスへ移ります。1年目から高い決定力を披露すると、2年目にはゲオルギアディスやラゴスをしのぐチーム最多の13得点を挙げてチームを4位に導きました。
06/07シーズンの途中にボーフムへ移り、1月27日のマインツ戦でブンデスリーガにデビューします。ミシモヴィッチや同胞FWゲカスらとのプレーでフランクフルト戦では2得点を見せました。2年目はヴォルフスブルク戦で1得点2アシスト、終盤に2戦連続アシストを見せるなど、スロヴァキア代表FWセスタクや小野らと共に活躍します。その後もMFフライアーやカナダ代表インホフ、スロヴェニア代表FWデディッチらと薄氷の戦いを続け、1部に踏みとどまりました。
アゼルバイジャンでは代表で師事したシェーファー監督の下でプレーし、イラクリスに復帰しました。1年のブランクを経てマレーシアのピッチにも立っています。

ドーハでの1995年Wユースで3試合戦った後、11月26日のガボン戦にて17歳283日でフル代表にデビュー。1998年W杯予選は1試合にとどまりました。
2000年シドニー五輪ではバックアッパーとして3試合に出場して金メダルを獲得。2001年コンフェデ杯は日本戦など3試合に出場しましたが、グループリーグで終わりました。2002年W杯予選は6試合とまずまずの出番を得られたものの、本大会ではプレーできませんでした。
2003年コンフェデ杯は1試合に終わり、フォエの急逝がありましたが準優勝になりました。2008年アフリカ選手権は2試合戦い準優勝、2010年W杯予選も1試合戦っています。
代表記録 32試合2得点

2014年11月2日:新規アップ