ロベルト・エンケ(Robert ENKE)
フルネーム ロベルト・エンケ
国籍 ドイツ
出身地 イェナ
生年月日 1977・8・24
身長 185cm
体重 78kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・3・28
デンマーク戦
代表背番号 12 23
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95/96 カール・ツァイス・イェナ(2部)
96/97 ボルシアMG
97/98 ボルシアMG
98/99 ボルシアMG 32
99/00 ベンフィカ(ポルトガル) 26
00/01 ベンフィカ(ポルトガル) 26
01/02 ベンフィカ(ポルトガル) 25
02/03 バルセロナ(スペイン) 25
03/04 フェネルバフチェ(トルコ)
03/04 テネリフェ(スペイン2部)
04/05 ハノーファー 1 34
05/06 ハノーファー 1 32
06/07 ハノーファー 1 34
07/08 ハノーファー 1 34
08/09 ハノーファー 1 24
09/10 ハノーファー 1
ミスの少ない安定したセービングに加え、足元のテクニックも長けており、ドイツ人GKとしては希少な海外経験が豊富なGKです。旧東ドイツ出身で、MFシュナイダーと同郷です。

地元クラブでサッカーを始め、名門カール・ツァイス・イェナに入団します。96/97シーズンに古豪ボルシアMGに移籍、最初の2年間はサブでしたが3年目にチャンスが巡ってきます。
1998年8月15日シャルケ戦でブンデスリーガにデビューすると、以降正守護神としてスウェーデン代表P・アンデションらと共に奮闘しますが、2部降格の憂き目に遭いました。
99/00シーズンにベンフィカへ移籍。ボルシアMGでの恩師ハインケス監督により主将に指名されます。ポルトやスポルティングと並ぶ強豪の一角でしたがタイトルを獲れず、セルタとのUEFA杯3回戦では2戦合計1−8という屈辱的な大敗を喫しましたが、3年過ごしました。
その後ファン・ハール監督率いるバルセロナからオファーを受け、フリー移籍します。しかしアルゼンチン代表ボナーノやカンテラ出身のV・バルデスの存在もあり、ほとんどプレーできませんでした。チャンピオンズ・リーグでは1次リーグでチームが早々と突破を決めたため、終盤のC・ブルージュやガラタサライとの試合でプレーすることができました。
その後はフェネルバフチェやテネリフェとレンタル移籍を繰り返し、04/05シーズンに母国へ復帰してハノーファーに入団。タイトル争いとは無縁ですが、経験が重要視されるポジションにおいて全盛期とも言える活躍を見せ、主将として精神的支柱になります。08/09シーズンは若手の台頭もあり24試合の出場に終わりましたが、年間ベストGKに選出されました。

98/99シーズンにボルシアMGで活躍しだした頃から代表招集を受け、1999年コンフェデ杯にも帯同しましたが、カーン、レーマンという厚い壁に阻まれました。
しかし海外生活を経てハノーファーで正守護神となってからは再び存在がクローズアップされ、2007年3月28日デンマーク戦にて悲願のデビューを果たします。
カーンが現役を、レーマンが代表を引退したため、2010年W杯予選では5試合戦うなど本大会の正GK候補でしたが、2009年11月10日に地元ハノーファーで事故死しています。
代表記録 8試合
2008年5月4日:新規アップ 2012年9月14日更新