ビセンテ・エンゴンガ(Vicente ENGONGA)
フルネーム ビセンテ・エンゴンガ・マテ
国籍 スペイン  
出身地 バルセロナ
生年月日 1965・10・20
身長 181cm
体重 84kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1998・7・23
ロシア戦
代表背番号 15
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
91/92 バジャドリー 37
92/93 セルタ 36
93/94 セルタ 36
94/95 バレンシア
95/96 バレンシア 25
96/97 バレンシア 35
97/98 マジョルカ 34
98/99 マジョルカ 33
99/00 マジョルカ 31
00/01 マジョルカ 31
01/02 マジョルカ 20
02/03 オビエド(2部) 11
02/03 コヴェントリー(イングランド2部)
守備的MFやCBとして豊富なスタミナと強靭なフィジカルで敵の攻撃の芽を摘み、味方のカバーもできるスペイン代表選手です。

バルセロナにある赤道ギニアがルーツの家に生まれます。元選手である父親の存在もあり、弟と共にプロ志向で練習を開始し、4部のトーレラベガで2年、マホネスでは4部から3部に昇格するなど5年プレーし、91/92シーズンにバジャドリーでプロ生活を始めます。
そして37試合に出場。バルデラマやイギータといったコロンビア代表の存在にも刺激され、初めての1部とは思えないプレーを披露しますが、19位で降格となりました。
これによりセルタへ移ります。ここでもカニサレスやクロアチア代表ユリッチと周囲に恵まれ、ほぼ全試合に出場、2年目は国内カップで準優勝になりました。
バレンシアではチームの成績が安定しなかったものの、ブラジル人のマジーニョと共にF・ゴメスやメンディエタ、ミヤトヴィッチといった攻撃陣を支えました。
97/98シーズンにマジョルカへ移ります。バレロンやイバガサといった司令塔の後ろで黒子になり、5位、3位と上位に入ります。2年目はチェルシーを下すなど大会最後のカップウィナーズ杯で準優勝になりました(決勝はラツィオに敗北)。4年目はフィニディやルケの加入でチームの攻撃力が上がって3位になり、クラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得します。
予選でH・スプリトを下して1次リーグに進むと、アーセナルとの初戦で決勝点を挙げて勝利に貢献しますが、最終的に3位で敗退しました。国内リーグは過密日程の影響で低迷し、自身は終盤のマラガ戦でレッドを受けるなど16位と降格を免れるのが精いっぱいとなりました。
02/03シーズンは2部オビエドで半年プレーし、冬にイングランド2部コヴェントリーへレンタル移籍して8試合戦った後、38歳で現役を退きました。

1998年7月23日のロシア戦にて、32歳で代表デビューを果たします。2年後の欧州選手権予選は3試合、本戦でもスロヴェニア戦でプレーしています。
代表記録 14試合1得点

2015年1月11日:新規アップ