遠藤 航(Wataru ENDO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 遠藤 航(エンドウ ワタル) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 神奈川県横浜市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1993・2・9 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 75kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2015・8・2 北朝鮮戦 |
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代表背番号 | 6 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 18年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ワタル | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 16AFCU−23選手権 | ||||||||||||||||||||||||||||
16セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
16ルヴァンカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
17AFCチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
10 湘南ベルマーレ 33 | 6 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
11 湘南ベルマーレ(J2) 26 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12 湘南ベルマーレ(J2) 3 | 32 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
13 湘南ベルマーレ 3 | 17 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
14 湘南ベルマーレ(J2) 3 | 38 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
15 湘南ベルマーレ 3 | 31 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
16 浦和レッズ 6 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 浦和レッズ 6 | 30 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
18 浦和レッズ 6 | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 シント=トロイデン(ベルギー) 33 | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 シュツットガルト(ドイツ2部) | |||||||||||||||||||||||||||||
守備的MFとCB、右SBをこなす柔軟性、身長の低さを補う跳躍力、正確なキックに加え、どのチームでもリーダーを託される求心力の強さが持ち味です。 横浜市戸塚区生まれ。小学1年でサッカーを始めた当初はストライカーでした。地元の横浜FMジュニアユースを受験しますが、不合格となりました。 地元の南戸塚中はゲームもまともにできないなど環境が整っていませんでした。しかし指導者には恵まれ、パス回しや足技など限られた条件の中で練習の効率を高めました。 3年の時にCBにコンバートされてキャプテンに就任し、湘南U−18の練習に参加します。そしてトップチームのチョウ・キジェ監督から実力を認められ高校卒業後に入団します。 9月18日川崎F戦でJ1デビューし、新潟戦で一矢報いる初得点を挙げました。チームはJ2に降格しますが、自身は副キャプテンに就任して34試合と一気に主軸となります。12シーズンは町田戦で2得点を挙げるなど7得点を挙げてJ1復帰に貢献しました。 2年ぶりのJ1では開幕前に負傷、戦列復帰が7月と出遅れますが、川崎F、浦和、鹿島と上位からゴールを挙げました。再びJ2に落ちた14シーズンは3試合連続ゴールを挙げて1年でJ1に戻りました。15シーズンは開幕から浦和と鹿島に2試合連続でPKを決めました。 翌シーズンに浦和へ移籍し、槙野、森脇と3バックを組みます。ルヴァン杯と2ndステージを制したものの、リーグではチャンピオンシップで3位の鹿島に敗れました。 2年目は右SBとしてもプレーし、3得点すべてでチームを勝利に導きました。ACLでは11試合に出場し、10年ぶりの優勝を果たしました。 2018年W杯終了後にベルギーへ移籍します。8月5日ゲンク戦でのリーグデビューをゴールで飾るなど、冨安や鎌田と共にチームの中央を強化しました。 19/20シーズンにシュツットガルトへ移籍しています。 U−16から代表でプレーし、2度のU−19アジア選手権に出場。2014年アジア大会も4試合に出場します。2016年のU−23選手権では優勝してリオ五輪出場権を獲得。翌年の本大会では3試合に出ますが、守備が崩壊してグループリーグで敗退しました。 2015年8月2日、東アジア杯北朝鮮戦でフル代表デビューして3試合ピッチに立ちました。2018年W杯予選でも3試合に出て、本戦にも選出されました。 2019年アジア杯でも5試合でカードなしと存在感を示しますが、イランとの準決勝で負傷。カタールとの決勝ではチームの敗戦をピッチの外から見つめました。 代表記録 2016年8月5日:新規アップ 2019年8月14日更新 |