遠藤 彰弘(Akihiro ENDO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 遠藤 彰弘(エンドウ アキヒロ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 鹿児島県鹿児島市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1975・9・18 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 65kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(CMF RMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | |||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | アキ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 95,00,03,04ファーストステージ | ||||||||||||||||||||||||||||
95,03,04Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
01ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
03セカンドステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
94 横浜マリノス | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
95 横浜マリノス | 19 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96 横浜マリノス | 2 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97 横浜マリノス 18 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98 横浜マリノス 18 | 16 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99 横浜Fマリノス 18 | 29 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
00 横浜Fマリノス 18 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01 横浜Fマリノス 8 | 30 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02 横浜Fマリノス 8 | 20 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 横浜Fマリノス 8 | 26 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
04 横浜Fマリノス 10 | 22 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 横浜Fマリノス 8 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ヴィッセル神戸 36 | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 ヴィッセル神戸(J2) 36 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07 ヴィッセル神戸 36 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
戦術眼と運動量を兼ね備え、スペースのカバーリングやインターセプトからのビルドアップ能力に長けています。本来は中盤の底でプレーしますが、サイドやトップ下でもプレーできます。 旧桜島町出身。長男拓哉、三男保仁とともに「遠藤三兄弟」としてならします。地元は有数のサッカーどころだったこともあり、長男の影響を受け小学3年からサッカーを始めます。 桜島中を経て強豪鹿児島実業に入学し、3年次にはFW城とともに高校選手権に出場。準々決勝でMF奥が在籍している神戸弘陵を下しますが、準決勝でGK川口、DF田中誠らを擁する清水商に敗れました。しかし大会優秀選手に選ばれました。 1994年に横浜M(現横浜FM)に入団。1年目は出場機会がありませんでしたが、2年目の1995年8月23日清水戦でJリーグデビューを果たしました。主に右アウトサイドでプレーし、年間優勝に貢献しました。翌96シーズン、5月18日福岡戦でプロ初ゴールを挙げましたが、負傷によりわずか2試合の出場にとどまりました。 その後アキレス腱の治療に専念し、97シーズンに復帰します。翌98シーズンに弟の保仁が横浜Fに入り、9月15日の横浜ダービーでプロ入り後初の兄弟対決が実現しました。 それまで右サイドで起用され、ケガもあって満足にプレーできない状況でしたが、99シーズンからレギュラーに定着。上野とコンビを組み翌シーズンのステージ優勝に貢献しました。 01シーズンのナビスコ杯準々決勝川崎F戦では2ゴールをマークし、初タイトルをもたらしました。リーグでは残留争いをしましたが、30試合に出場し獅子奮迅の活躍を見せました。 03シーズンに岡田監督が就任。開幕の磐田戦でゴールを挙げる好スタートを切り、両ステージ制覇に貢献、翌04シーズンは多くのポジションをこなし、リーグ2連覇を果たしました。 以降はケガに悩まされますが、06シーズンの入れ替え戦では冷静なプレーでチームを支えJ1昇格を果たします。しかしその後は出場機会に恵まれず、契約満了に伴い引退しました。 J1リーグ:228試合14得点 J2リーグ:1試合 Wユースにはケガのため出場できなかったものの、1996年のアトランタ五輪代表メンバーになり、前園、城、中田英らとともにブラジル戦に出場。右サイドでプレーし、R・カルロスとマッチアップして勝利しましたが(マイアミの奇跡)、得失点差でグループリーグ敗退となりました。 代表記録 2007年10月27日:新規アップ 2012年2月25日更新 |