ブレット・エマートン(Brett EMERTON)
フルネーム ブレット・ミカエル・エマートン
国籍 オーストラリア
出身地 バンクスタウン
生年月日 1979・2・22
身長 185cm
体重 85kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 1998・2・7
チリ戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム  
個人タイトル 02オセアニア年間最優秀選手(IFFHS)
チームタイトル 01/02UEFAカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96/97 シドニー・オリンピック 18
97/98 シドニー・オリンピック 24
98/99 シドニー・オリンピック 21
99/00 シドニー・オリンピック 28
00/01 フェイエノールト(オランダ) 23 28
01/02 フェイエノールト(オランダ) 23 31
02/03 フェイエノールト(オランダ) 23 33
03/04 ブラックバーン(イングランド) 23 37
04/05 ブラックバーン(イングランド) 7 37
05/06 ブラックバーン(イングランド) 7 30
06/07 ブラックバーン(イングランド) 7 34
07/08 ブラックバーン(イングランド) 7 33
08/09 ブラックバーン(イングランド) 7 20
09/10 ブラックバーン(イングランド) 7 24
10/11 ブラックバーン(イングランド) 7 30
11/12 ブラックバーン(イングランド) 7
11/12 シドニーFC 7 25
12/13 シドニーFC 7 22
13/14 シドニーFC 7
ダイナミックなドリブルと正確なクロスで多くの好機を作るだけでなく、自らも得点を狙います。守備でも的確な位置取りで相手の攻撃を抑え、攻守にそつがないのが特長です。

96/97シーズンにシドニーでプロデビューしてレギュラーとして活躍すると、その活躍によりオランダの強豪フェイエノールトへ移籍、すぐに順応し右SBのレギュラーを確保しました。
01/02シーズンにはファン・マルヴァイク監督から重宝されUEFA杯で6試合出場、栄冠に輝いて自身初のタイトル獲得となります。この活躍で2002年のオセアニア最優秀選手に選ばれました。また、日本代表MF小野伸らと臨んだ02/03シーズンのチャンピオンズ・リーグでは予備予選でフェネルバフチェを下して本戦へ進みますが、ユヴェントスやニューカッスルなどの前に1次リーグを最下位で終えました。リーグでは開幕戦など3ゴールを決めています。
03/04シーズンより、キューウェル、シュウォーツァー、ヴィドゥカなど同胞が多いイングランドに移ります。8月16日ウルヴズ戦でのプレミアデビューを自らゴールで飾り、マンチェスター・U戦でも敗れはしたもののゴールを決め、堅実な守りと右SB以外のポジションに順応するユーティリティを披露、多国籍のチームにあっても短い期間で不可欠の存在となりました。
2年目は本拠リヴァプール戦で1ゴール1アシストと健闘、2009年1月にヒザのじん帯を損傷したこともあり、シーズンは20試合の出場に終わりました。
09/10シーズンにはリーグ杯で2ゴールを挙げるなど復調し、翌シーズンは3年ぶりの30試合出場を達成。終盤のマンチェスター・U戦、ウルヴズ戦と2試合連続ゴールを挙げてチームをプレミア残留に導きました。その後母国シドニーで引退しています。

1995年のU−17世界選手権で5試合出場。Wユースには1997年に4試合出場しますが、日本に敗れました。2年後も出場しますが、グループリーグの3試合に終わりました。その後2000年シドニー五輪でもキャプテンとして2試合に出場しました。
フル代表デビューは18歳のときで、1998年2月7日のチリ戦です。コンフェデ杯にも2001年と2005年大会でそれぞれ2試合出場しますが、いずれもグループリーグ敗退となりました。
W杯予選は2002年大会が4試合でしたが本戦へ進めませんでした。しかし2006年大会は不動の右サイドハーフとして8試合出て4試合連続ゴールを挙げ、32年ぶりの出場権獲得に貢献。グループリーグ突破がかかったクロアチア戦では10分間で2枚カードをもらって退場になり、決勝トーナメントでの出場はなりませんでした。
2010年W杯予選では6試合で4ゴール。3次と最終予選のカタール戦で共に2点取りました。本大会でも3試合プレーしますが、ドイツに大敗するなどグループリーグで終わりました。
2011年アジア杯では5試合出場。準々決勝からベンチスタートとなり、ウズベキスタン戦でゴールを挙げました。日本との決勝でも守備固めに入りますが、敗れています。
代表記録 95試合20得点

2006年10月2日:新規アップ 2017年6月17日更新