エヂムンド(EDMUNDO)
フルネーム エヂムンド・ジ・ソウザ・アウヴェス・ネト
国籍 ブラジル  
出身地 ニテロイ
生年月日 1971・4・2
身長 173cm
体重 72kg
利き足
ポジション FW(ST CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1992・7・31
メキシコ戦
代表背番号 21
W杯メンバー 98年
ニックネーム アニマウ=野獣
個人タイトル  
チームタイトル 92リオデジャネイロ州選手権
93リオ=サンパウロ・カップ
93サンパウロ州選手権
93,94,97ブラジル全国選手権
97コパ・アメリカ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
92 ヴァスコ・ダ・ガマ 23
93 パルメイラス 19 11
94 パルメイラス 21
95 フラメンゴ 14
96 コリンチャンス
96 ヴァスコ・ダ・ガマ 16
97 ヴァスコ・ダ・ガマ 28 29
97/98 フィオレンティーナ(イタリア) 29
98/99 フィオレンティーナ(イタリア) 11 28
99 ヴァスコ・ダ・ガマ 16 13
00 サントス 20 13
00/01 ナポリ(イタリア) 17
01 クルゼイロ 12
01 東京ヴェルディ(日本) 7
02 東京ヴェルディ(日本) 7 26 16
03 浦和レッズ(日本) 7
03 ヴァスコ・ダ・ガマ  20
04 フルミネンセ 19
04 ノヴァ・イグアス
05 フィゲイレンセ 31 15
05 パルメイラス 29 10
06 パルメイラス 20
07 パルメイラス 26 13
やわらかいボールタッチ、多彩なパスなど華麗なプレーが持ち味で、ゲームメークもこなせる攻撃センスあふれるストライカー。実力に疑いの余地はありませんが、気性が激しくアニマウ(野獣)のニックネームどおり多くの問題を起こすトラブルメーカーでもあります。

1987年にボタフォゴのアマチュアチームでプレーを始めます。プレー自体は他者よりハイレベルでしたが、当時からグラウンド内外でのトラブルが絶えませんでした。
1990年にヴァスコのユースに入り3月31日にデビュー。2年後にプロ契約を交わして1月26日のブラジル全国選手権コリンチャンス戦でトップデビューし、後期で優勝しました。93シーズンにルシェンブルゴ監督の下で3冠を達成しますが、3月のヴィトーリア戦で審判に非紳士的行為を働き4試合の出場停止となりました。94シーズンに連覇を果たしますが、サンパウロ戦で相手選手を殴り協議にかけられました。翌95シーズンにフラメンゴに移籍し、ロマーリオ、サヴィオと強力な攻撃陣を形成しますが、結果が出ず1シーズンで退団しました。
コリンチャンスを経て、古巣ヴァスコに復帰します。ブラジル全国選手権ではU・サン・ジョアン戦で1試合最多タイの6ゴールを挙げます。その試合でPKを失敗したため最多記録は逃しました。またシーズン通算29ゴールを挙げ、20年間破られなかったレイナルドの記録を更新しました。この活躍で自身3度目のブラジル全国選手権のタイトルを獲得しました。
97/98シーズン途中にフィオレンティーナに移籍し、FWバティストゥータ、MFルイ・コスタなどと攻撃陣を形成します。しかし異国の地でもスタンスは変わらず、マレザーニ監督と口論の末勝手に帰国したり、トラパットーニ監督に暴言を吐いたり、故意に累積警告を受けてクリスマス休暇の足しにしたり、チームが負けた日にカーニバルで騒いだりと問題行動に関しては枚挙に暇がなく、チームの優勝争いに冷や水を浴びせて2年でイタリアを後にしました。
その後母国とイタリアを往復し、01シーズンにJリーグ東京Vに移籍します。降格争いのただ中にあったチームにおいて5試合で2ゴールと結果を残し、J1残留に貢献しました。
翌シーズンの2ndステージは出場停止を除く全試合出場を果たし、開幕から7試合連続ゴールを挙げて活躍したほか、トップ下でもプレーして利他的なプレーでチームに貢献しました。
浦和ではエメルソンとのコンビが期待されたものの、オフト監督との確執が生じ、リーグでは1試合もプレーすることなく退団。以降は母国で存在感を示しました。

1990年8月1日メキシコ戦で代表デビュー。1997年のコパ・アメリカでは、ロナウド、ロマーリオのサブとしてメンバーに入り、2ゴールを挙げて優勝に貢献しました。
1998年W杯のメンバーにも入って決勝など2試合途中出場しましたがゴールはなく、準優勝に終わりました。2002年大会予選は2試合ノーゴールに終わっています。
代表記録 37試合9得点
2007年4月15日:新規アップ 2012年9月2日更新