エディン・ジェコ(Edin DZEKO)
フルネーム エディン・ジェコ
国籍 ボスニア・H
出身地 ドボイ
生年月日 1986・3・17
身長 193cm
体重 84kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2007・6・2
トルコ戦
代表背番号 11
W杯メンバー 14年
ニックネーム  
個人タイトル  09ボスニア・ヘルツェゴヴィナ年間最優秀選手
09/10ブンデスリーガ得点王
16/17セリエA得点王
チームタイトル 08/09ブンデスリーガ
11/12,13/14プレミアリーグ
13/14イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03/04 ゼレツニカール 26 20
04/05 ゼレツニカール 26 13
05/06 ウスティ・ナド・ラベム(チェコ2部) 15
05/06 テプリツェ(チェコ) 23 13
06/07 テプリツェ(チェコ) 23 30 13
07/08 ヴォルフスブルク(ドイツ) 9 28
08/09 ヴォルフスブルク(ドイツ) 9 32 26
09/10 ヴォルフスブルク(ドイツ) 9 34 22
10/11 ヴォルフスブルク(ドイツ) 9 17 10
10/11 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 15
11/12 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 30 14
12/13 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 32 14
13/14 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 31 16
14/15 マンチェスター・シティ(イングランド) 10 22
15/16 ローマ(イタリア) 9 31
16/17 ローマ(イタリア) 9 37 29
17/18 ローマ(イタリア) 9 36 16
18/19 ローマ(イタリア) 9 33
19/20 ローマ(イタリア) 9    
190cmを超える長身で力強さに敏捷性も備えるなど高いポテンシャルを持ち、固め取りをする爆発力で存在感を放つボスニア・H産の本格派ストライカーです。

10歳でゼレツニカールの下部に入りMFとしてプレー。2年で5ゴールに終わりますが、チェコへ渡ってFWに転向、テプリツェの2年目にリーグ2位の13ゴールを挙げました。
これに目を付けたヴォルフスブルクへ移籍し、2007年8月11日ビーレフェルトとの開幕戦でブンデスリーガデビュー、4試合目のコットブス戦で初ゴールを挙げます。1年目は一ケタに終わりましたが、リーグ王者のシュツットガルトとの両試合でゴールを挙げました。
2年目は同胞ミシモヴィッチの加入もあり、ゴールを量産。カップ戦で1試合4ゴールを挙げると、リーグでも6試合連続ゴール、ホッフェンハイムやハノーファーとの試合ではハットトリックを達成するなど(前者との試合では12分間での達成)、ブラジル代表グラフィッチとリーグ最強の2トップを結成してクラブ初のマイスターシャーレ獲得に大きく貢献。2009年のボスニア・H最優秀選手にも選ばれました。この活躍でミランやマンチェスター・Cからオファーが届きますが、クラブと2013年まで契約を更新したことで移籍には至りませんでした。
迎えた3年目はマガト監督の退団もあってチームは8位と振るいませんでしたが、自身はシャルケ戦で2ゴールを挙げて彼に恩返しを果たすなど通算22ゴールで得点王に輝きました。チャンピオンズ・リーグでもグループリーグ敗退となりましたが、マンチェスター・U戦で2試合2ゴールなど通算6試合4ゴールと見事な結果を残しました。
4年目にはキャプテンに就任。ミシモヴィッチは去りましたが、新加入のヂエゴとホットラインを築きます。開幕バイエルン戦で1ゴール、続くマインツ戦で2ゴールを挙げたことでクラブでのリーグ通算成績が96試合59ゴールとなり、2000年代前半に在籍したアルゼンチン人のディエゴ・クリモヴィッツが保持していた149試合57ゴールを更新しました。
前半戦で10ゴールと好成績を残してマンチェスター・Cに10番で迎えられ、1月15日ウルヴズ戦でプレミアリーグにデビューするも2ゴールと沈黙しました。しかし2年目はトッテナム戦での1試合4ゴールにマンチェスター・ダービーでの2ゴール、最終節QPR戦での同点ゴールと勝負強さを見せ、クラブ44年ぶりの優勝に貢献しました。3年目も開幕戦やトッテナム、アーセナル、リヴァプールなどクラブ最多の14ゴールを挙げます。チャンピオンズ・リーグでもR・マドリー相手にゴールを取ったものの、いずれもチームの結果につながりませんでした。
4年目はマンチェスター・ダービーなど16ゴールを挙げてトゥーレ・Yやアグエロと共に2年ぶりのプレミア制覇に貢献し、リーグ杯でも6ゴールで2冠の立役者となりました。
15/16シーズンにローマへレンタル移籍し、8月22日H・ヴェローナとの開幕戦でセリエAデビュー。ユヴェントス戦で同胞ピャニッチと共にゴールを挙げて勝利に貢献し、ローマダービーでも両試合でゴールを挙げますが、2ケタに届きませんでした。チャンピオンズ・リーグでもバルサ相手に一矢報いてグループリーグを突破しますが、R16でR・マドリーに連敗しました。
2年目はリーグ戦で7度の1試合2ゴールなどで得点王になるだけでなく、9アシストでナインゴランやサラーなどを援護しました。ヨーロッパリーグでは2度のハットトリックなど8ゴールを決めてベスト16になりました。国内カップ戦での2ゴールを合わせて全公式戦で39ゴールを決め、イタリアの年間ゴール記録を塗り替えました。
3年目もインテル戦からの5連発やナポリ戦のドッピエッタなどイグアインと並ぶ6位タイの16ゴールをマークしました。チャンピオンズ・リーグでもグループリーグでチェルシーに2発決め、シャフタールとの決勝トーナメントR162ndレグからバルサとの準々決勝、リヴァプールとの準決勝2ndレグまで5連発するなど8ゴールを挙げて、チームを力強くけん引しました。
4年目は2ケタはならなかったものの、アタランタ戦など2度ドッピエッタし、ユヴェントス戦で1ゴール1アシストで勝つなど9ゴール6アシストしました。チャンピオンズ・リーグではプルゼニ戦でハットトリック、本拠C・モスクワ戦の2ゴール1アシストなどで印象を残しました。

2007年6月2日トルコ戦で代表デビュー。欧州選手権予選となったこの試合でいきなりゴールを決めますが、本大会には進めませんでした。
2010年W杯予選では12試合に出場し、ルーニーと並ぶ9ゴールを挙げてプレーオフに進みますが、ポルトガルに敗れて本大会出場を逃します。2012年欧州選手権予選でも9試合戦い、フランス戦やルーマニア戦など3ゴールを挙げますが、出場はなりませんでした。
2014年W杯予選は、イビシェヴィッチとの2トップでリヒテンシュタイン戦のハットトリックなど10ゴールで初出場します。本戦ではアルゼンチンとナイジェリアに連敗してグループリーグ突破はなりませんでしたが、イラン戦でミドルを決めてW杯初勝利を挙げました。
2016年欧州選手権予選は9試合戦い、アンドラ戦のハットトリックなど8ゴールを挙げますが、ベルギー、ウェールズ、アイルランドの前に突破はなりませんでした。
2018年W杯予選も9試合で5ゴールを挙げますが、ベルギー相手に仕事ができず連敗し、キプロスにも足元をすくわれて敗退しました。
代表記録

余談
・2009年11月にはユニセフのアンバサダーに就任しています。
・08/09シーズンは自身が26ゴール、グラフィッチが28ゴールで計54ゴールを挙げます。バイエルンで71/72シーズンにG・ミュラーが40ゴール、U・ヘーネスが13ゴールを挙げた計53ゴールを上回り、ブンデスリーガにおける2トップ最多ゴール記録を更新しました。
2011年2月8日:新規アップ 2019年8月10日更新