セイドゥ・ドゥンビア(Seydou DOUMBIA)
フルネーム セイドゥ・ドゥンビア
国籍 コートジボワール
出身地 ヤムスクロ
生年月日 1987・12・31
身長 179cm
体重 74kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・5・24
日本戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム バネ
個人タイトル 05コートジボワールリーグ得点王
08/09,09/10,16/17スイスリーグ得点王
11ロシア年間最優秀選手
11/12,13/14ロシアリーグ得点王
チームタイトル 12/13,13/14ロシアリーグ
13/14ロシアカップ
15CAFアフリカネイションズ・カップ
16/17スイスリーグ
16/17スイスカップ
17/18ポルトガルリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03 アスレティック・アジャメ    
04 ASECミモザ    
05 デンゲレ・オディエンネ 20 15
06 柏レイソル(日本J2) 35
07 柏レイソル(日本) 35 18
08 徳島ヴォルティス(日本J2) 10 16
08/09 ヤングボーイズ(スイス) 7 32 20
09/10 ヤングボーイズ(スイス) 7 32 30
10 CSKAモスクワ(ロシア) 8 11
11/12 CSKAモスクワ(ロシア) 8 42 28
12/13 CSKAモスクワ(ロシア) 88
13/14 CSKAモスクワ(ロシア) 88 22 18
14/15 CSKAモスクワ(ロシア) 88 13
14/15 ローマ(イタリア) 88 13
15/16 CSKAモスクワ(ロシア) 88 13
15/16 ニューカッスル(イングランド) 28
16/17 バーゼル(スイス) 88 25 20
17/18 スポルティング(ポルトガル) 88 14
18/19 ジローナ(スペイン) 22 17
19/20 ジローナ(スペイン) 22    
強さ、速さ、しなやかさと三拍子そろった身体能力で相手エリアに侵入するコートジボワール代表ストライカー。好きなサッカー選手は同胞の英雄ドログバです。

多くの他のコートジボワール代表の面々と同様、ギ・ルーが設立したASECアビジャンで成長します。デンゲレでは15得点で得点王に輝き、持てる才能を示しました。
その後柏に入団し、2006年6月7日神戸戦にてJデビュー。自身は無得点でしたがJ1に昇格し、初得点も同じ神戸戦で翌年5月26日となります。しかしフランサが1トップを務めていたため思うような出場機会を得られず、翌シーズンに徳島へ期限付き移籍します。
ここでは背番号10を託され16試合7得点と結果を残し、Y・ボーイズに引き抜かれます。2008年7月18日バーゼル戦でスイスリーグにデビューし、4度の1試合2得点や5試合連続得点を決めました。2年目も開幕から4試合連続得点を挙げ、ハットトリックも3度達成するなど驚異的な決定力を見せて2年連続で得点王に輝きますが、チームはいずれも2位に終わりました。
10シーズンにC・モスクワへ移籍し、8月1日S・モスクワ戦でロシアリーグデビュー。国内ではゼニトや本拠S・モスクワ戦で得点を挙げ、ヨーロッパリーグでもスパルタ・Pやパレルモといった難敵から1試合2得点と結果を残してラウンド32になりました。2年目はリーグが長丁場となりますが、アンジ戦など4度の1試合2得点にS・ナリチク戦でのハットトリックなど、得点王の最右翼となります。チャンピオンズ・リーグでも7試合に出場し、フランス王者リール相手の1試合2得点やインテルからなど通算5点を挙げて決勝トーナメントに進出しました。
3年目は序盤のケガが長引いて国内2冠にも喜べない状況でしたが、4年目はK・ソヴェトフとの開幕戦やD・モスクワ、アンジ戦など4度も1試合2得点を決めて18得点で2度目の得点王になり、リーグ連覇に大きく貢献しました。チャンピオンズ・リーグでも敗れはしたものの、アウェーのマンチェスター・C戦で2得点と格上相手に気を吐きました。
5年目の途中でローマに引き抜かれ、2015年2月15日パルマ戦でセリエAにデビューします。サッスオーロとジェノアに連発しますが、先発定着はなりませんでした。
15/16シーズンは、C・モスクワとニューカッスルにレンタル移籍します。前者ではまずまずの結果でしたが、後者ではふがいない結果に終わり降格しました。
16/17シーズンにバーゼルへ。チャンピオンズ・リーグはPSGやアーセナルの前に敗退しました。国内では5度の1試合2発など20ゴールで6度目の得点王になりました。
翌シーズンにスポルティングへ。8月11日セトゥーバウ戦でデビューしたリーグは不発でしたが、カップ戦でハットトリック、リーグ杯でも1試合2ゴールを決めて優勝しました。
18/19シーズンにジローナへ移籍し、9月23日バルセロナ戦でリーガデビュー。しかし絶対的エース、ストゥアニの前にベンチスタートがメインとなっています。

U−19などを経て、2008年5月24日キリン杯日本戦でフル代表デビュー。2010年W杯では予選ギニア戦、本選では北朝鮮戦と1試合ずつプレーしました。
アフリカ選手権は2012年に2試合出場。2014年W杯予選はチャンスがなく、クラブでの活躍により予備登録には入りましたが、23人の枠からは外れました。
2015年アフリカ選手権は初戦で得点を挙げます。ガーナとの決勝では途中出場し、PK戦で4人目のキッカーとして成功させて母国に2度目のタイトルをもたらしました。
2018年W杯予選は5試合戦いガボン戦で2ゴールを挙げました、
代表記録

余談
・スイスリーグでの1年目、先発出場はわずか8試合でした。
2012年4月27日:新規アップ 2019年7月8日更新