ジオバニ・ドス・サントス(Giovani DOS SANTOS)
フルネーム ジオバニ・ドス・サントス・ラミレス
国籍 メキシコ※
出身地 モンテレイ
生年月日 1989・5・11
身長 174cm
体重 77kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2007・9・9
パナマ戦
代表背番号 10 17
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 09CONCACAFゴールドカップ最優秀選手
チームタイトル 05FIFAU−17世界選手権
09,11,15CONCACAFゴールドカップ
12ロンドンオリンピック金メダル
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06/07 バルセロナB(スペイン3部) 26
07/08 バルセロナ(スペイン) 17 28
08/09 トッテナム(イングランド) 17
08/09 イプスウィッチ(イングランド2部) 20
09/10 トッテナム(イングランド) 17
09/10 ガラタサライ(トルコ) 30 14
10/11 トッテナム(イングランド) 17
10/11 ラシン・サンタンデール(スペイン) 17 16
11/12 トッテナム(イングランド) 17
12/13 マジョルカ(スペイン) 9 29
13/14 ビジャレアル(スペイン) 9 31 11
14/15 ビジャレアル(スペイン) 9 26
15 ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ) 10 10
16 ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ) 10 28 14
17 ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ) 10    
繊細な左足のさばきとスピード、ビジョンを備え、鋭いドリブルでのカットインを得意とする天才肌のメキシコ代表アタッカー。バルセロナなどでプレーするジョナタンは実弟です。

元ブラジル代表ジジーニョの下に生まれます。彼の影響を受けてボールに親しみ、2001年に父も所属したモンテレーでプロの一歩を踏み出します。翌年のUSトーナメントという大会の活躍でバルサ入りし、各カテゴリーを順調に消化、2006年7月AGFとの親善試合でトップチームデビューしてゴールを挙げると、12月にはクラブW杯への遠征メンバーにも選ばれました。
07/08シーズンの9月2日ビルバオ戦にて18歳114日でリーガデビューを果たすと、19日リヨン戦でチャンピオンズ・リーグにデビューし、シュツットガルト戦でゴールを記録。ロナウヂーニョ、アンリ、シャビ、エトー、メッシといったワールドクラスと連係し、2008年5月18日のリーグ最終節ムルシア戦でハットトリックを決め、来季への手ごたえをつかみました。
しかしトッテナムへ完全移籍します。8月16日ミドルスブラ戦でプレミアデビューするも結果が出ず、唯一のゴールはUEFA杯シャフタール戦となりました。自身を獲得したファンデ・ラモス監督が2ヶ月で退任、後任のレドナップ監督の戦術に適応できず冬にイプスウィッチへレンタルされます。2試合目に初ゴールを挙げるなど8試合で4ゴールを挙げて再びトッテナムに合流しますが、足首を痛めて離脱し、復帰後も選手層の厚さに阻まれ出番を得られませんでした。
そして恩師ライカールト率いるガラタサライへレンタルされ、アルダ、カデル・ケイタ、エラーノ、バロシュ、キューウェル、ノンダと層の厚いチームで多くプレーしました。ラシンではビジャレアル戦で途中出場からゴールを決めて引き分けると、その後の4ゴール1アシストで4勝し、ロセンベリやバキルチョグルといったスウェーデン代表勢と共に1部残留に成功しました。
11/12シーズンに三度トッテナムに復帰しますが、固定されているレギュラー陣の中に割って入れず7試合の出場に終わりました。翌シーズンにマジョルカと4年契約を結び、イスラエル代表ヘメドらとの攻撃で6ゴール7アシストを決めますが、降格となりました。
13/14シーズンにビジャレアルに移ります。アルメリアとの開幕戦で1ゴール1アシスト、バレンシア戦で2ゴール1アシスト、本拠R・ソシエダ戦で2ゴール2アシストなど、ナイジェリア代表ウチェなどとの攻撃で、1部復帰のクラブをヨーロッパリーグ圏内に導きました。ジョナタンが加入してきた2年目はリーグこそ1ゴールでしたが、ヨーロッパリーグで3ゴールを挙げました。
15シーズンにジェラードに続きロスへ移籍し、8月9日シアトル戦でのMLSデビューをゴールで飾ります。2年目は序盤の4連発などキャリアハイの14ゴールを挙げました。

2005年のU−17世界選手権で5試合戦い、多くのアシストを記録して優勝してシルバーボールに輝きます。2年後のU−20W杯では4試合3ゴールでベスト8に進みました。
2007年9月9日の親善試合パナマ戦でH・サンチェス監督によりフル代表デビュー。2009年ゴールド杯では2ゴールを挙げてチームを優勝に導き、MVPに選ばれました。
2010年W杯予選はコスタリカ戦の1ゴールのみに終わるも10試合出場、一回り以上歳の離れたFWブランコらと共に、母国の5大会連続出場権獲得に貢献します。その後のゴールド杯決勝では素晴らしいゴールでホスト国アメリカを下して優勝しました。
2012年五輪でもグループリーグのガボン戦で2ゴール、延長にもつれたセネガルとの準々決勝でも勝ち越しゴールを挙げるなど母国を力強くけん引して金メダルを獲得しました。翌年のコンフェデ杯では3試合に出場しますが、決定的な仕事はありませんでした。
2014年W杯予選は12試合に出場し、ペラルタやJ・エルナンデスといったストライカーへチャンスを演出して2大会連続出場を達成。本大会では自身のシュートでペラルタの決勝ゴールを呼び込み、オランダ戦でもミドルを決めましたが、終盤に逆転されました。
2015年ゴールド杯は出場3試合、ゴールもキューバ戦の6点目にとどまりますが、3度目の優勝を果たしました。3試合に出た2017年コンフェデ杯は不発に終わりました。
代表記録

※:スペインとブラジルの国籍もあり
2012年8月7日:新規アップ 2017年7月5日更新