カルロス・ディオゴ(Carlos DIOGO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | カルロス・ディオゴ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ウルグアイ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | モンテビデオ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1983・7・18 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 185cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 79kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(RSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2003・3・28 日本戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | 17 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 リーベル・プレート・モンテビデオ | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 リーベル・プレート・モンテビデオ | 15 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 リーベル・プレート・モンテビデオ | 25 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 リーベル・プレート・モンテビデオ | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ペニャロール 23 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 リーベル・プレート(アルゼンチン) 21 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 レアル・マドリー(スペイン) 21 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 サラゴサ(スペイン) 2 | 30 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 サラゴサ(スペイン) 2 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 サラゴサ(スペイン2部) 2 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 サラゴサ(スペイン) 2 | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 サラゴサ(スペイン) 2 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 CSKAソフィア(ブルガリア) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ウエスカ(スペイン2部) 18 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ヘント(ベルギー) 18 | 13 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 サラゴサ(スペイン2部) 2 | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
優れた身体能力と運動量、激しいコンタクトもいとわない勇敢さを持ち合わせた右SB。複数の位置で機能しますが、好不調の波が激しくプレーの安定感向上が課題です。 パルメイラスやウルグアイ代表でDFとして活躍したヴィクトル・ディオゴを父に持ち、幼少期からプロを目指します。14歳でリーベル・プレート・モンテビデオの下部組織に入り、17歳でトップリーグデビューを果たしました。4シーズンプレーした後、父がかつてプレーしたペニャロールへ移籍してレギュラーとしてプレー。リベルタドーレス杯出場をかけたデフェンソールとのプレーオフ決勝2ndレグで同点ゴールを挙げ、出場権の獲得に貢献しました。 そしてウルグアイの英雄フランチェスコリに推薦され、アルゼンチンの名門リーベルに移ります。リベルタドーレス杯では10試合に出場しましたが、準決勝でサントスに敗れました。 そして05/06シーズンにR・マドリーに入団します。9月25日第5節のアラベス戦でリーガデビューしました。M・サルガドのバックアッパーと目されていたものの、自身より後に加入したS・ラモスやシシーニョと競争が激化しました。出場機会を求め、06/07シーズンにサラゴサへレンタル移籍してレギュラーとなり、チームの躍進に貢献しました。 そして完全移籍となり主力となりますが2部に降格、そのシーズンはヒザのケガによる手術とリハビリで全休します。翌シーズンの12月12日ビルバオ戦での復帰を自らゴールで祝い、翌10/11シーズンは33試合に先発しましたが、2部降格となりました。 その後C・ソフィアに入りますが、わずか2週間でクラブとの契約を解除します。コンスタントにプレーしたスペイン2部ウエスカでは、3部降格となりました。 ヘントでは2013年7月27日ベヴェレン戦でベルギーリーグデビュー。2試合連続ゴールを決めますが、シーズン半ばで放出されサラゴサで引退しました。 早くから将来を嘱望され、U−20、U−23などの召集を受けましたが、ユース選手権や五輪といったメジャーな大会の出場はなりませんでした。 2003年3月28日の日本戦にフル代表デビュー。翌年のコパ・アメリカでは3位に入りました。2006年W杯予選では終盤に召集されて9試合、オーストラリアとのプレーオフも両試合に出場しましたがPK戦で敗れ、初出場はなりませんでした。 代表記録 22試合 2007年3月4日:新規アップ 2017年6月17日更新 |