ダヴィド・ディ・ミケーレ(David DI MICHELE)
フルネーム ダヴィド・ディ・ミケーレ
国籍 イタリア  
出身地 グイドーニア
生年月日 1976・1・6
身長 178cm
体重 76kg
利き足
ポジション FW(ST LWG)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2005・3・30
アイスランド戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 ロディジャーニ(3部)
94/95 ロディジャーニ(3部) 16
95/96 ロディジャーニ(3部) 20
96/97 フォッジャ(2部) 36
97/98 フォッジャ(2部) 32
98/99 サレルニターナ 20 26
99/00 サレルニターナ(2部) 20 36 23
00/01 サレルニターナ(2部) 20 30 14
01/02 ウディネーゼ 17 25
02/03 レッジーナ 17 34
03/04 レッジーナ 17 28
04/05 ウディネーゼ 17 37 15
05/06 ウディネーゼ 17 16
05/06 パレルモ 17 19
06/07 パレルモ 17 29
07/08 トリノ 17 25
08/09 ウェストハム(イングランド) 17 30
09/10 トリノ(2部) 10 18
09/10 レッチェ(2部) 5 19
10/11 レッチェ 17 23
11/12 レッチェ 17 29 11
12/13 キエーヴォ 17 11
12/13 レッジーナ(2部) 9 18
13/14 レッジーナ(2部) 9 35
14/15 レッジーナ(3部) 9 17
15/16 レッジーナ(3部) 9
俊敏性と独特の緩急を駆使し、スピードにも恵まれたドリブルや裏への抜け出し、1対1での突破力はリーグ屈指を誇ります。素早い足の振りから強烈なシュートを放ちますが、運動量の多いプレースタイルが災いし、決定力を欠く場面も見られます。

ロディジャーニでプロのキャリアを始め、3シーズンプレーします。その後2部のフォッジャでは主力として活躍したものの3部降格となりました。
これに伴い2部のサレルニターナへ移籍します。セリエA初采配のD・ロッシ監督の下、9月12日ローマとの開幕戦でセリエAデビューを果たし、ディ・ヴァイオらと共に3トップを組んで活躍します。ところが15位に終わり2部に降格しました。しかしその後もチームに残留しエースストライカーとしてゴールを量産、23ゴールを挙げて得点王となります。翌シーズンも14ゴールと結果を出してビッグクラブからオファーをもらいますが、ウディネーゼへ移籍します。
ホジソン監督の下ではSTとしてプレー。ローマ相手の先制点や、レッチェとのアウェー戦で2ゴールの活躍を見せますが、監督交代などでチーム内が混乱して13位に終わりました。翌シーズンから昇格したレッジーナへレンタル移籍、2シーズンプレーして中村俊やボナッツォーリらと共に活躍、終盤に3試合連続ゴールを挙げて1部残留に貢献しました。
04/05シーズンにウディネーゼに復帰し、D・ピサーロ、ディ・ナターレ、ヤクインタらと共にスパレッティ監督の攻撃サッカーを支えます。パレルモ相手のハットトリックを始め、2度の1試合2ゴールなどチーム最多の15ゴールをマークし、クラブ史上初のチャンピオンズ・リーグ出場権獲得に貢献しました。また、2004年11月の国内カップ2回戦レッチェ戦では2ゴールを挙げますが、味方GKハンダノヴィッチが退場し、交代枠も使い切っていたためゴールマウスに立ち、相手FWヴチニッチのPKをセーブするなど攻守にわたってチームを勝利に導きました。
05/06シーズンはチャンピオンズ・リーグデビューを果たし、国内でもシエナとのアウェー戦でハットトリックを決めますが、途中でパレルモへ移籍します。最初の試合となったパルマ戦では2ゴールを挙げるなど通算19試合で7ゴールと結果を残しました。翌シーズンは9ゴール5アシストをマークしてアマウリやブレッシャーノらと共にチームの快進撃を支えました。
トリノでは違法の賭博行為をしたため約2ヶ月の出場停止処分を受けます。その後ウェストハムにレンタルに出され、2008年9月13日WBA戦でプレミアデビュー。2試合目にはニューカッスル相手に2ゴール1アシストを見せますが、1年でイングランドを後にしました。
09/10シーズン途中にレッチェへ移籍。Bを制し2年ぶりのAでのプレーとなった10/11シーズンも開幕戦でなど8ゴール4アシストと結果を残してA残留に成功。翌シーズンも6年ぶりの2ケタゴールを挙げて低迷するチームで孤軍奮闘し、キエーヴォに引き抜かれます。
しかしテレオー、パロスキ、ペリッシェルの前にベンチを温め、レッジーナに移ります。1年目はアスコリ戦でハットトリックを決め、2年目も35試合に出場と結果を残しますが、4年目に一ケタの出場試合にとどまり、40歳でて引退しています。

2005年3月30日アイスランド戦でフル代表初出場。しかしデル・ピエロやディ・ナターレなどの存在により定着には至っていません。
代表記録 6試合

2008年3月7日:新規アップ 2016年6月21日更新