マアマドゥ・ディアッラ(Mahamadou DIARRA)
フルネーム マアマドゥ・ディアッラ
国籍 マリ
出身地 バマコ
生年月日 1981・5・18
身長 184cm
体重 76kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー  
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル 02アフリカ選手権最優秀若手選手
05/06リーグアンベストイレブン(UNFP)
チームタイトル 02/03〜05/06リーグアン
06/07,07/08リーガ・エスパニョーラ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 OFIクレタ(ギリシャ) 21
99/00 フィテッセ(オランダ) 6 16
00/01 フィテッセ(オランダ) 6 29
01/02 フィテッセ(オランダ) 6 24
02/03 リヨン(フランス) 7 28
03/04 リヨン(フランス) 7 27
04/05 リヨン(フランス) 7 33
05/06 リヨン(フランス) 7 31
06/07 レアル・マドリー(スペイン) 6 32
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 6 30
08/09 レアル・マドリー(スペイン) 6
09/10 レアル・マドリー(スペイン) 6 15
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 6
10/11 モナコ(フランス) 6
11/12 フルハム(イングランド) 19 11
12/13 フルハム(イングランド) 19
13/14 フルハム(イングランド) 19
高い身体能力を誇り、豊富な運動量と抜群のポジショニングで、相手の攻撃の芽を摘むセンターハーフ。ポジションの割にカードが少なく、守備センスの高さがうかがえます。

地元CSKバマコの下部組織でプレーを始め、98/99シーズンにギリシャのクレタに入団してプロのキャリアがスタートしました。異国の地であるにもかかわらず準レギュラークラスの活躍を見せ、21試合で2ゴールとまずまずの滑り出しを見せましたが、ギリシャを離れました。
99/00シーズンからはオランダのフィテッセへ移籍し、UEFA杯にも出場しました。2年目に就任したR・クーマン監督から指導を受けて6位、翌01/02シーズンは再びUEFA杯出場権を獲得する5位でシーズンを終え、2年連続で好成績を残しました。
02/03シーズンに約5億円で強豪リヨンへ移籍し、8月24日バスティア戦でリーグデビューします。ドラソー、ヴィオロー、ジュニーニョ、エッシェンら良質のMFが在籍していたこともあって常時スタメンとはいきませんでしたが、チャンピオンズ・リーグでの戦いもあるため、ターンオーバー制を採用するクラブで多くの出場機会を得ました。3年目はチャンピオンズ・リーグでマンチェスター・Uやブレーメンから、翌年もミランやオリンピアコスからゴールを奪うなどその実力を欧州に見せつけます。国内でもその存在は大きく、近年の躍進に多大な貢献を果たしました。
06/07シーズン、30億円超の移籍金でR・マドリーへクラブ初のマリ国籍の選手として入団。8月27日ビジャレアル戦でリーガデビューしてエメルソンとコンビを組み、守備力強化のため自身の獲得を熱望したカペッロ監督の期待に応えてリーグ連覇を果たしました。
翌08/09シーズンは開幕直後こそレギュラーでしたが、ヒザの負傷で以降の試合を棒に振り、多くの実力者が加入してきたこともあって厳しい立場となります。そして10/11シーズン途中にモナコへ移籍して9試合戦いますが2部降格となり、退団しました。
その後しばらく無所属でしたが、11/12シーズンにフルハムに入り、3月4日ウルヴズ相手のプレミアデビュー戦でアシストを決めます。その後のボルトン戦では初ゴールを決めるなど先発メンバーに定着しますが、再び不調に陥り3年目に退団、引退しました。

1997年のU−17世界選手権で4試合1ゴールの成績を残します。2年後のWユースでは1試合の出場でしたが、3位になりました。フル代表デビュー後、2002年に母国で開催されたアフリカ選手権で準決勝進出に貢献し、若手の最優秀選手に選出されました。
キャプテンとして臨んだ2004年アフリカ選手権では全試合に出場。ブルキナファソ戦でゴールを挙げてグループリーグ突破を果たすと、準々決勝のギニア戦、後半ロスタイムに決勝ゴールを決めましたが、再びベスト4でした。2008年大会は2試合の出場にとどまっています。
W杯予選は2002年大会2試合、2006年大会8試合、2010年大会7試合に出場していますが、いずれも本大会出場権を逸しています。
代表記録 68試合6得点

2006年8月1日:新規アップ 2016年6月3日更新