ヴィカシュ・ドラソー(Vikash DHORASOO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ヴィカシュ・ドラソー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | フランス | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | アルフレール | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1973・10・10 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 168cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 63kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(CMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1999・3・27 ウクライナ戦 |
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代表背番号 | 8 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 00/01,01/02フランスリーグ・カップ | ||||||||||||||||||||||||||||
02/03,03/04リーグアン | |||||||||||||||||||||||||||||
05/06フランスカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 ル・アーブル | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 ル・アーブル | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ル・アーブル | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ル・アーブル | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ル・アーブル 10 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 リヨン 10 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 リヨン 10 | 32 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 リヨン 10 | 27 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ボルドー | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 リヨン 24 | 37 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 リヨン 24 | 31 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ミラン(イタリア) 24 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 パリ・サンジェルマン 10 | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 パリ・サンジェルマン 10 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 リヴォルノ(イタリア) 24 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
高度な技術と運動量を併せ持ち、献身的にチームを支えるMF。中央、サイドをそつなくこなし、どんな布陣にも対応できる融通性があります。波が激しく安定感に欠けるのが欠点です。 モーリシャス人の両親のもと、フランス北西部のアルフレールに生まれます。ル・アーブルでキャリアをスタートさせ、1993年8月のサンテティエンヌ戦でプロデビューを果たしました。 2年目よりレギュラーとして活躍し、98/99シーズンにリヨンへ引き抜かれます。そしてマルブランクと共に中盤から攻撃を組み立て、翌シーズンから加入したS・アンデルソンのゴールをおぜん立てしました。ボルドーのレンタル移籍を経て02/03シーズンにクラブ初優勝し、翌シーズンは連覇も達成して黄金時代の礎を築きました。チャンピオンズ・リーグも02/03シーズンこそ1次リーグで敗退しますが、翌年に方式が変わって8試合戦いベスト4になりました。 フランスでの活躍が認められ、04/05シーズンにミランへ加入。11月10日ブレッシャ戦でセリエAデビューを果たしますが、ガットゥーゾ、セードルフ、ピルロとレギュラー陣が固定されていたため出場機会を得ることができず、PSGへ移籍します。 そしてパウレタとB・カルーの後方でゲームメーカーとしてフル稼働、ゴールこそなかったもののリーグ戦では34試合に出場しました。フランス杯決勝マルセイユ戦ではゴールを挙げて2年ぶりのタイトル獲得に貢献し、UEFA杯出場権を手中にしました。 06/07シーズンは監督との折り合いが悪く、途中でクラブとの契約が解除となりましたが、翌シーズンにリヴォルノからのオファーを受けて2度目のセリエAに臨みます。しかしケガの影響もあり1試合もプレーできず退団し、そのまま現役を引退しています。 1996年アトランタ五輪ではヴィルトールやマケレレらと共に4試合プレーし、準々決勝に進出します。1999年3月27日の欧州選手権予選ウクライナ戦でフル代表デビューしますが、2002年W杯や2004年欧州選手権の出場は果たせませんでした。 2006年W杯予選ではドメネク監督に招集されて5年ぶりの代表復帰を果たし、7試合1ゴールを記録すると、本大会でも2試合ピッチに立っています。 代表記録 18試合1得点 2009年9月27日:新規アップ 2012年9月8日更新 |