カジミエシュ・デイナ(Kazimierz DEYNA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | カジミエシュ・デイナ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ポーランド | ![]() |
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出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1947・10・23 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1968・4・24 トルコ戦 |
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代表背番号 | 12 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 74年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | カカ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 72ミュンヘンオリンピック得点王(9得点) | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 65/66,72/73ポーランドカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
68/69,69/70ポーランドリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
72ミュンヘンオリンピック金メダル | |||||||||||||||||||||||||||||
76モントリオールオリンピック銀メダル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
66/67 LKSウージ | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
66/67 レギア・ワルシャワ | 12 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
67/68 レギア・ワルシャワ | 23 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
68/69 レギア・ワルシャワ | 26 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
69/70 レギア・ワルシャワ | 23 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
70/71 レギア・ワルシャワ | 23 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
71/72 レギア・ワルシャワ | 26 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
72/73 レギア・ワルシャワ | 25 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
73/74 レギア・ワルシャワ | 27 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
74/75 レギア・ワルシャワ | 26 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
75/76 レギア・ワルシャワ | 26 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
76/77 レギア・ワルシャワ | 28 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
77/78 レギア・ワルシャワ | 28 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
78/79 レギア・ワルシャワ | 11 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
78/79 マンチェスター・シティ(イングランド) | 13 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
79/80 マンチェスター・シティ(イングランド) | 25 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
81 サンディエゴ・ソッカーズ(アメリカ) | 39 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
82 サンディエゴ・ソッカーズ(アメリカ) | 26 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
83 サンディエゴ・ソッカーズ(アメリカ) | 18 | 15 | |||||||||||||||||||||||||||
84 サンディエゴ・ソッカーズ(アメリカ) | 23 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
ポーランド代表が強さを見せつけていた1970年代の中心選手。ゲームメーカーとしてのイメージが強いですが、点取り屋としても非凡な才能を発揮します。 11歳でWSグダンスクのユースに加入して、1966年にLKSウージでキャリアをスタートさせます。同年に陸軍のチームであるL・ワルシャワに移りました。即戦力として活躍するものの国外移籍が許されず、同クラブに13年間在籍、390試合141得点の数字を残します。 28歳の時に移籍が認められ、イングランドのマンチェスター・Cへ加入。しかし代表で見せていたような輝きをサッカーの母国で放つことはできませんでした。 イングランドで不本意なキャリアを過ごした後、スター選手が続々加入し当時隆盛を誇った北米リーグに移籍。ここでコンスタントに結果を残して84シーズンを最後に現役を退きました。 その後もアメリカで暮らしていましたが、1989年9月1日に地元サンディエゴでの交通事故により死亡しました。 1968年6月24日トルコ戦で代表デビュー。4年後のミュンヘン五輪ではルバンスキと2トップを組んで7試合戦い、決勝のハンガリー戦を含む大会通算9ゴールを挙げて得点王になって母国の金メダル獲得に貢献。続くモントリオールでも5試合プレーして銀メダルを獲得します。 1970年W杯予選は5試合出場しますが、本大会行きはなりませんでした。続く1974年W杯予選では4試合プレーし出場権を獲得。本大会では7試合出場し、負傷のルバンスキに代わりゲームメークを担当。ラトなどに効果的なパスを供給すると同時に、1次リーグのハイチ戦とイタリア戦でゴールを挙げると、2次リーグのユーゴスラヴィア戦でPKを決め、ブラジルとの3位決定戦を制しました。この活躍によりバロンドール投票では3位にランクインしました。 1978年W杯予選は6試合に出場し、本戦でも6試合1ゴールの成績を残しました。 代表記録 84試合33得点 余談 ・アメリカへ移籍した1981年に「勝利への脱出」という映画に出演しました。 ※スタロガルド・グダンスキ 2011年7月12日:新規アップ 2012年8月25日更新 |