ジャーメイン・デフォー(Jermain DEFOE)
フルネーム ジャーメイン・コリン・デフォー
国籍 イングランド  
出身地 ベックトン
生年月日 1982・10・7
身長 170cm
体重 65kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・3・31
スウェーデン戦
代表背番号 19
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 ボーンマス(3部) 29 18
00/01 ウェストハム 35
01/02 ウェストハム 9 35 10
02/03 ウェストハム 9 37
03/04 ウェストハム(2部) 9 19 11
03/04 トッテナム 18 15
04/05 トッテナム 18 35 13
05/06 トッテナム 18 36
06/07 トッテナム 18 34 10
07/08 トッテナム 18 19
07/08 ポーツマス 14 12
08/09 ポーツマス 14 19
08/09 トッテナム 25
09/10 トッテナム 18 34 18
10/11 トッテナム 18 22
11/12 トッテナム 18 25 11
12/13 トッテナム 18 34 11
13/14 トッテナム 18 13
14 トロントFC(アメリカ) 18 19 11
14/15 サンダーランド 28 17
15/16 サンダーランド 18 33 15
16/17 サンダーランド 18 37 15
17/18 ボーンマス    
スピードにフェイントを織り交ぜた緩急あるドリブルで敵を翻弄し、ポスト役の落としやスペースへのパスに反応するなど素早い判断力に裏打ちされた多彩な動きを見せます。

元アーセナルの名手I・ライトに憧れてサッカーを始めます。少年時代はテリーやAs・コールも在籍していたクラブチームに籍を置き、14歳で地元チャールトンの下部組織に入ります。
2年後にはライバルのウェストハムに移り、2000年9月19日のリーグ杯ウォルソール戦で得点を記録して鮮烈なトップチームデビューを飾ります。
しかしグレアム監督の構想に入れず3部相当のボーンマスへレンタル移籍すると、これが吉と出て戦後としては元アイルランド代表ジョン・オルドリッジに並ぶリーグ戦10試合連続得点をマーク。最終的には29試合18得点と素晴らしい成績を収めました。
これによりウェストハムに復帰し、2001年5月19日ミドルスブラ戦でプレミアデビュー。翌シーズン、J・コール、キャリック、G・ジョンソンら同じアカデミー出身の選手と共に活躍、ディ・カーニオ、レス・ファーディナンド、カヌーテと多彩な顔ぶれがそろう前線でベンチスタートが多かったものの、マンチェスター・U戦などチーム最多の10得点を挙げてリーグ7位になりました。
02/03シーズンにチームは低迷、8得点に終わるも8アシストと周囲を活かしましたが、18位で降格しました。その後チームに残りカーディフ戦のハットトリックなど11得点と役割を果たしますが、3枚のレッドカードを受け、移籍をにおわす発言をするなど周囲との関係が悪化し、冬にトッテナムへ移ります。そして初戦から3戦連発して瞬く間に戦術に適応しました。
04/05シーズンはサウサンプトン戦でのハットトリックなど、リーグ4位タイの13得点でチームを3年ぶりに一ケタ順位に導き、2つのカップ戦でも計9得点を挙げます。07/08シーズンはロビー・キーン、ベルバトフとのポジションを争いに敗れました。
そしてポーツマスへ移籍し、クラウチと身長差31センチの2トップを結成して5試合連続でネットを揺らしました。翌シーズンもクラニツァールの後援もあり19試合8得点と量産しました。
08/09シーズン途中にトッテナムに復帰。ウェストハム、ポーツマスに続き、サッカーを始めた時の恩師レドナップ監督の下でのプレーとなります。2年目はハル戦でハットトリック、ウィガン戦ではシアラー、An・コールに次ぐ史上3人目の1試合5得点を記録、FA杯でもリーズ戦でハットトリックを達成するなど自己最高のシーズンを送りました。その後足首を痛めますが、復帰後はファン・デル・ファールト、アデバヨール、ベイルとの攻撃で一ケタ順位をキープしました。
その後MLSに移ります。2014年3月15日のデビュー戦から2連発し、PKキッカーも務めて得点数を2ケタに乗せますが、チームの順位は低迷したままでした。
14/15シーズンにサンダーランドへ移籍します。2年目はスウォンジー戦でのハットトリックなど後半戦に勝負強さを見せ、プレミア残留に貢献ししました。3年目もリヴァプール戦など3度の1試合2得点など役割を果たしますが、最下位に終わりました。
17/18シーズンにボーンマスへ移籍しています。

2004年3月31日スウェーデン戦で代表デビューしますが、直後の欧州選手権のメンバーから外れます。2006年W杯予選でも8試合に出場して本大会行きが有力視されながら、弱冠17歳ウォルコットのサプライズ選出もあって落選しました。
2010年W杯予選では5試合で3得点を挙げて出場権獲得に貢献。本大会ではスロヴェニア戦で決勝点を取り、グループリーグを突破しました。
2012年欧州選手権予選ではブルガリア戦でハットトリックを決めますが、スイス戦の4日後に負傷、以降は呼ばれませんでしたが、本大会メンバーに入り1試合出ました。
代表記録

余談
・代表の同僚ベッカムの妹と交際していたことで話題になった時期がありました。
・2006年10月21日のトッテナム対ウェストハム戦で、マスチェラーノにかみついて警告を受けますが、自身も当時のヨル監督もジョークであるとして世論を鎮めました。
2017年2月26日:新規アップ 2017年6月7日更新