ダンテ(DANTE)
フルネーム ダンテ・ボンフィム・コスタ・サントス
国籍 ブラジル  
出身地 サルバドール
生年月日 1983・10・18
身長 188cm
体重 85kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2013・2・6
イングランド戦
代表背番号 13
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 07/08ベルギーリーグ
12/13~14/15ブンデスリーガ
12/13,13/14DFBカップ
12/13UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAコンフェデレーションズ・カップ
13FIFAインターコンティネンタル・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
03 ジュヴェントゥージ 22
03 グアラニ(3部)
03/04 リールB(フランス4部)
03/04 リール(フランス) 31
04/05 リールB(フランス4部) 11
04/05 リール(フランス) 6
05/06 リールB(フランス4部) 11
05/06 リール(フランス) 6
05/06 シャトールー(ベルギー) 18 12
06/07 シャトールー(ベルギー) 5 12
06/07 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 4 15
07/08 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 4 33
08/09 スタンダール・リエージュ(ベルギー) 4 15
08/09 ボルシアMG(ドイツ) 31 10
09/10 ボルシアMG(ドイツ) 31 32
10/11 ボルシアMG(ドイツ) 31 18
11/12 ボルシアMG(ドイツ) 31 33
12/13 バイエルン(ドイツ) 4 29
13/14 バイエルン(ドイツ) 4 29
14/15 バイエルン(ドイツ) 4 27
15/16 バイエルン(ドイツ) 4
15/16 ヴォルフスブルク(ドイツ) 18 23
16/17 ニース(フランス) 31 33
17/18 ニース(フランス) 31 33
18/19 ニース(フランス) 31 36
19/20 ニース(フランス) 31    
空陸でフィジカルにものを言わせますが、素早い反応でのシュートブロックや的確なポジショニング、カウンターの起点になるフィードと、技術や頭脳も備えるCBです。

ダンテはバイーア州のサルバドールに生まれます。03シーズンよりジュヴェントゥージやグアラニに在籍しますが、すぐに欧州に渡ります。
2004年2月14日モナコ戦でリーグアンにデビューします。しかし定着には至らず、リザーブではドゥビュシーやキャバイエ、ミララスらと共に汗を流しました。
リールでは芽が出ず05/06シーズンにシャトールーに移籍します。8月7日シャルルロワ戦でベルギーリーグにデビューし、2年目の途中にS・リエージュに引き抜かれます。そしてシャトールー相手の初戦でフル出場、ゴールも挙げて古巣に恩返ししました。その後もアメリカ代表オニェウとのコンビでゴール前に壁を作り、ヴィツェルやフェライニといった若手の台頭でチーム力が上がった07/08シーズンにリーグ優勝を達成、翌シーズン途中に渡独します。
2009年3月20日のボーフム戦でブンデスリーガにデビュー。3試合目は優勝するヴォルフスブルク相手に一時は同点に追いつくゴールを挙げました。その後もコットブス戦での決勝ゴール、最終節ドルトムント戦でのゴールでチームを降格から救いました。
GKバイリーやダエムスと守備の中軸がベルギーで意思の疎通も苦労せず、ケガに泣いた10/11シーズン以外は安定したパフォーマンスを披露、最終年はリーグ2位の失点24と堅守の原動力となり、チームにチャンピオンズ・リーグ出場権をもたらしました。
12/13シーズンにバイエルンと4年契約します。前年にリーグ最少22失点で終えたチームで重圧は大きかったものの、ケガが多いヴァン・ブイテンに代わり、J・ボアテング、GKノイアー、J・マルティネスらと堅守を構築、国内リーグは2位を大きく引き離して制します。チャンピオンズ・リーグでも準々決勝1stレグのアシストでバルサに引導を渡して優勝しました。その後もリーグを連覇しますが、アラバ、X・アロンソ、キミッヒのDF起用で構想外となりました。
ヴォルフスブルクではナウドやグスタヴォと同胞の守備陣と共に一ケタ順位を達成し、チャンピオンズ・リーグは準々決勝に進出しました。
16/17シーズンにニースへ。リーグ33試合、ヨーロッパリーグ5試合に先発、コンビを組むバイスが欠場した時にはキャプテンマークを任されるなど恩師ファブレ監督から全幅の信頼を受け、MFセリ、FWバロテッリと共に3位躍進の原動力となりました。

バイエルンでの活躍がブラジル代表に再登板したスコラーリ監督から評価され、2013年2月6日イングランドとの親善試合でフル代表デビューを果たします。
同年のコンフェデ杯は2試合戦い、イタリア相手に先制しました。翌年のW杯はT・シウヴァとD・ルイスの控えになり、唯一出た試合でドイツに7失点しました。
代表記録

2017年8月25日:新規アップ 2019年10月12日更新