ゾルタン・チボール(Zoltan CZIBOR)
フルネーム ゾルタン・チボール・シュハイ
国籍 ハンガリー  
出身地 コマロミ
生年月日 1929・8・23
身長 169cm
体重 68kg
利き足
ポジション FW(LWG)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1949・5・8
オーストリア戦
代表背番号 11
W杯メンバー 54年
ニックネーム 切り込み隊長
個人タイトル  54FIFAワールドカップベストイレブン
55ハンガリーリーグ得点王
チームタイトル 48/49,54,55ハンガリーリーグ
52ヘルシンキオリンピック金メダル
53中央ヨーロッパ選手権
58/59,59/60リーガ・エスパニョーラ
58/59,62/63コパ・デル・ヘネラリシモ
58/60UEFAフェアーズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
48/49 フェレンツ・バロシュ    
49/50 フェレンツバロシュ    
49/50 EDOSZ    
51/52 チェペル    
52/53 チェペル    
53 ホンヴェド 25 16
54 ホンヴェド 21 10
55 ホンヴェド 21 20
56 ホンヴェド 13 12
57 ホンヴェド    
57/58 ホンヴェド    
57/58 バルセロナ(スペイン)
58/59 バルセロナ(スペイン) 20
59/60 バルセロナ(スペイン) 10
60/61 バルセロナ(スペイン)
61/62 エスパニョール(スペイン) 10
62/63 CEエウロパ(スペイン3部)    
61/62 バーゼル(スイス)    
61/62 アウストリア・ウィーン(オーストリア)    
63 ハミルトン(アメリカ)    
65 トロント・シティ(アメリカ)    
細かい技術と一瞬の加速力を搭載したドリブルでチャンスを作り、力強い左足ミドルでフィニッシュも決めるハンガリー史を語るに欠かせないウインガーです。

西部コマロミで生まれ育ち、13歳で入団した地元クラブを経てフェレンツバロシュに入団。得点を重ねてリーグを制覇しましたが、軍隊のチームであるホンヴェドに移ります。
それまでの同僚であるコチシュに加え、ボジク、プスカシュと国内最強のメンバーがそろい、リーグ連覇を達成。自身は55シーズンに20得点を挙げて得点王になりました。
その後動乱が起こり西欧に避難し、ローマでの短期間の在籍を経てバルセロナに入団。1958年9月14日バレンシアとのリーガデビュー戦で得点を挙げて6−0の大勝に貢献、同胞クバラやコチシュ、スアレス、テハーダ、エヴァリストとの攻撃陣でリーグとカップを2度制しました。56/57シーズンはチャンピオンズ杯に出場しますが、1回戦でA・ビルバオに敗れました。
58/60シーズンのフェアーズ杯(現ヨーロッパリーグ)では、バーミンガムとの決勝戦で2点を挙げて優勝に貢献。チャンピオンズ杯でも60/61シーズンに決勝に進みましたが、1954年W杯決勝と同じベルンのバンクドルフ・スタジアムでベンフィカに敗れました。
その後はエスパニョールを皮切りに短期間で複数のクラブを渡り歩き、65シーズンにトロントで引退。1990年に母国に戻ってユース時代を過ごしたクラブの会長を務めました。
1997年、68歳の誕生日を迎えた後にガンで亡くなりました。

1949年5月8日オーストリア戦で代表デビュー。コチシュ、プスカシュ、ヒデクチ、ボジクと共に「マジック・マジャール」の中心選手として国際試合32連勝を達成。特にイングランド戦では1953年のウェンブリーで6−3、翌年はホームで7−1と歴史的な大勝利を収めました。
1952年五輪では4試合戦い、ルーマニア戦で先制点、決勝ユーゴスラヴィア戦で追加点を挙げて金メダル獲得に貢献。2年後のW杯では韓国戦と準決勝ウルグアイ戦で結果を残します。決勝西ドイツ戦でもプスカシュの2分後に追加点を挙げますが、逆転されました。
代表記録 42試合18得点

2017年8月17日:新規アップ