エクトル・クーペル(Hector CUPER)
フルネーム エクトル・ラウール・クーペル
国籍 アルゼンチン  
出身地 チャバス
生年月日 1955・11・16
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1992~95 ウラカン
1995~97 ラヌース
1997~99 2004~06 マジョルカ(スペイン)
1999~01 バレンシア(スペイン)
2001~04 インテル(イタリア)
2007~07 ベティス(スペイン)
2008~08 パルマ(イタリア)
2008~09 ジョージア代表
2009~11 アリス(ギリシャ)
2011~11 ラシン・サンタンデール(スペイン)
2011~13 オルドゥスポル(トルコ)
2013~14 アル・ワスル(UAE)
2015~18 エジプト代表
2018~   ウズベキスタン代表
獲得タイトル 96コパCOMMEBOLカップ
99ドン・バロン最優秀監督賞
00UEFA最優秀監督賞
現役時代は闘争心あふれるCBでした。17歳でプロデビューすると、フェロ・カリル・オエステでは1982年と84年にリーグ優勝するなど424試合24得点の成績を残しました。その後インデペンディエンテやウラカンと国内リーグでプレーしました。
代表ではビラルド監督に召集されて5試合に出場しました。

規律とバランスを重視し、組織的なサッカーを好みます。サッキ監督の影響を受け、4-4-2ダイヤモンドやフラットを採用、全員守備を掲げ、ラインディフェンスを敷きます。
中央に守備要員を二人配置してボールを奪い、サイドにいる突破力やクロスの精度が高い選手で早めに前線へボールを送り高速カウンターに転じます。
スペクタクルに欠けると批判されることもありますが、DF出身ゆえ守備を重視し結果を最優先に考え、戦術理解力や守備意識が低い選手は起用しない傾向があります。
また、精神力を鍛える指導もしています。

37歳で現役を引退したウラカンでキャリアをスタートさせます。ラヌースでは3年連続でチームを3位に導き、2年目に国際タイトルを獲得して注目を集めるようになります。
1997年から欧州に渡りマジョルカに就任。バレロンやI・カンポなど自らの戦術に選手を適応させ、1部に昇格したチームをいきなり5位に導き、国内カップでも決勝に進出します。バルセロナにPK戦で敗れますが、2年目開幕前のスーパー杯で雪辱を果たしました。
98/99シーズンはイバガサやD・トリスタンを獲得し、国内リーグ最少失点でクラブ最高の3位になりチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得。最後となったカップウィナーズ杯は決勝でラツィオに敗れますが、初出場で準優勝してマジョルカ島に歓喜をもたらしました。
99/00シーズン、ラニエリ監督の後任としてバレンシアに就任。選手を起用しながら育てた従来と違い、GKカニサレス、DFデュキッチ、MFメンディエタ、FWイリエ、C・ロペスと各国代表の主力を複数擁するチームでは指導法をめぐり選手と衝突、国内リーグの成績は平凡でしたが、チャンピオンズ・リーグで勝ち進むことで支持を得ていきます。
1年目は準々決勝ラツィオ戦1stレグでジェラールがハットトリックを見せるなど計5-3で勝利、準決勝バルセロナ戦も計5-3と大量得点しました。史上初の同国対戦となった決勝のR・マドリー戦は0-3で敗れました。しかし決勝までの7試合を大会最少の9失点で乗り切り、得点も優勝したバイエルンと肉薄する結果は称賛されました。
2年目は躍進を支えたジェラール、ファリノス、C・ロペスが退団し、DFアジャラ、MFビセンテ、バラハ、アイマール、FWカリューを獲得。チャンピオンズ・リーグは1次、2次リーグを首位で通過、準々決勝ではアーセナルにアウェーゴールで、準決勝は「ヤング・リーズ」にメンディエタらの活躍で勝ちました。バイエルンとの決勝は相手DFアンデションのハンドで得たPKをメンディエタが決めて先制します。直後の相手MFショルのPKはカニサレスが防ぎますが、後半にカルボーニがハンドし、相手MFエッフェンベルクにPKを決められました。PK戦では7人目ペジェグリーノのキックを相手のカーンに阻まれ、3年連続で欧州タイトルを逃しました。
01/02シーズンにインテルへ。スペインのクラブから就任したアルゼンチン人監督ということもあり、「グランデ・インテル」のエレーラ監督と同様の期待を受けます。新加入のトルドやマテラッツィを含め層が厚くスタメンを固定できませんでしたが、後半にロナウドが長期の離脱から復帰して優勝争いします。最終節で勝てば優勝だったものの、ラツィオに2-0から逆転され2-4と敗れたことでユヴェントスに逆転優勝を許し、一気に3位に転落しました。
2年目はロナウドが去り、穴埋めとしてクレスポ、冬にバティを獲得します。しかし両者とも活躍には至らずヴィエリへの依存が続き、彼のケガによりリーグ、チャンピオンズ・リーグ共に失速して無冠に終わりました。3年目はフロントと衝突して6試合で解任されました。
04/05シーズン途中にB・フローロ監督の後を受けてマジョルカに復帰。大久保、アランゴ、過去に指導したファリノス、途中でユヴェントスから獲得したユリアーノを軸に1部に残ります。2年目はセリエAからドニを獲りますが、守備が崩れて途中で解任されました。
ジョージアで初めて代表監督になりますが、2010年W杯予選で勝てませんでした。クラブはギリシャのアリスで国内カップの決勝を戦い、ヨーロッパリーグ出場権を獲得します。2年目の同大会はグループリーグを突破して契約満了まで務めます。しかしベティス、パルマ、サンタンデール、トルコのオルドゥスポル、UAEのアル・ワスルでは結果が出ませんでした。
2015年にエジプト代表に就任。堅守速攻を植え付け、2年後のアフリカ選手権で準優勝しました。ヘガジ、エルネニー、サラーとプレミアで主力を張る面々を中心に、2018年W杯予選は3大会連続で出場しているガーナを退けて28年ぶりの本大会出場を果たします。
しかしサラーがR・マドリーとのチャンピオンズ・リーグ決勝でS・ラモスと接触して左肩を負傷、ウルグアイとの初戦に起用できず敗れました。2戦目は開催国ロシアにこのエースが自ら得たPKを決めるも3失点で連敗、サウジアラビアにも敗れて辞任しました。
その後ウズベキスタン代表に就任しています。

2019年1月17日:新規アップ

98/99マジョルカ
ピアジーニ ダニ
  イバガサ  
J・スタンコヴィッチ ローレン
  エンゴンガ  
ソレール オライソラ
シビエロ マルセリーノ
  ロア  

99/00バレンシア(CL準優勝)
C・ロペス アングーロ
  ジェラール  
キリ・G メンディエタ
  ファリノス  
カルボーニ アングロマ
ペジェグリーノ デュキッチ
  カニサレス  

00/01バレンシア(CL準優勝)
カリュー ファン・サンチェス
ビセンテ メンディエタ
バラハ アルベルダ
カルボーニ アングロマ
アジャラ デュキッチ
  カニサレス  

01/02インテル
カロン(レコバ) ヴィエリ
グーリー S・コンセイソン
ザネッティ ディ・ビアッジョ
グレシュコ サネッティ
マテラッツィ コルドバ
  トルド  

02/03インテル
レコバ ヴィエリ
エムレ・B S・コンセイソン
ザネッティ ディ・ビアッジョ
ココ サネッティ
カンナヴァーロ コルドバ
  トルド  

04/05マジョルカ
ビクトル(大久保) L・ガルシア
アランゴ カンパーノ
ファリノス G・ペレイラ
ボリ コルテス
ユリアーノ バジェステロス
  モジャ  

18エジプト代表(W杯出場)
  モフセン  
  サイド  
トレゼゲ サラー
ハメド エルネニー
アブデルシャフィ A・ファティ
ヘガジ ガブル
  エル・シェナウィ