クリスティアーノ・ロナウド(CRISTIANO RONALDO)
フルネーム
国籍 ポルトガル
出身地 フンシャル
生年月日 1985・2・5
身長 184cm
体重 75kg
利き足
ポジション FW(RWG)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2003・8・20
カザフスタン戦
代表背番号 7 17
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム CR7
個人タイトル 04,07~16UEFAベストイレブン
04,12,16UEFA欧州選手権ベストイレブン
04U-21欧州年間最優秀選手
05FIFAヤングプレーヤー
05/06~08/09プレミアリーグベストイレブン
06/07ポルトガル年間最優秀選手
06/07イングランド年間最優秀若手選手(PFA)
06/07,07/08イングランド年間最優秀選手(PFA)
06/07,07/08イングランド年間最優秀選手(FWA)
06/07,07/08イングランド年間最優秀選手(リーグ選定)
07/08プレミアリーグ得点王
07/08(8),12/13(12),13/14(17),14/15(10),
15/16(16)UEFAチャンピオンズ・リーグ得点王
07/08UEFA年間最優秀選手
07/08UEFA最優秀FW
07/08,10/11,13/14,14/15ヨーロッパ・ゴールデンシュー
07~16FIFA/FIFProベストイレブン
08,16バロンドール(フランスフットボール誌)
08FIFA世界年間最優秀選手
08FIFPro世界年間最優秀選手
08,13,14,16世界年間最優秀選手(ワールドサッカー誌)
09FIFAプスカシュ賞
10/11,13/14,14/15リーガ・エスパニョーラ得点王
13/14~15/16リーガ・エスパニョーラベストイレブン
12UEFA欧州選手権得点王(3得点)
13,14FIFAバロンドール
14,16UEFA欧州最優秀選手
16ザ・ベスト・FIFAフットボールアウォーズ
チームタイトル 03/04FAカップ
05/06,08/09イングランドリーグ・カップ
06/07~08/09プレミアリーグ
07/08,13/14,15/16UEFAチャンピオンズ・リーグ
08FIFAクラブワールドカップ
10/11,13/14コパ・デル・レイ
11/12リーガ・エスパニョーラ
16UEFA欧州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 スポルティング 28 25
03/04 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 29
04/05 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 33
05/06 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 33
06/07 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 34 17
07/08 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 34 31
08/09 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 33 18
09/10 レアル・マドリー(スペイン) 9 29 26
10/11 レアル・マドリー(スペイン) 7 34 41
11/12 レアル・マドリー(スペイン) 7 38 46
12/13 レアル・マドリー(スペイン) 7 34 34
13/14 レアル・マドリー(スペイン) 7 30 31
14/15 レアル・マドリー(スペイン) 7 35 48
15/16 レアル・マドリー(スペイン) 7 36 35
16/17 レアル・マドリー(スペイン) 7    
相手を幻惑させる独特のステップを刻むドリブル、ブレ球など多彩な弾道のプレースキック、ヘディングも強烈で、前線すべてで機能するなど攻撃面では全能を備えています。
甘いマスクで女性からも高い人気を誇り、日本企業のCMにも出演経験があります。

ポルトガル領マデイラ諸島のフンシャルに生まれ、労働者が多く住むサント・アントニオで育ちます。貧しい生活でしたが、歩けるようになった頃にはボールを蹴り始めていました。6歳でアンドリーニャに入団し、4年後にナシオナルに入団。U-12選手権で優勝を果たしました。
そして1996年にスポルティングの下部組織へ入団。わずか12歳だったためホームシックになるなど苦難の日々を送りましたが、フィーゴ、シモン、クアレスマとそうそうたる面々が卒業したこの下部組織で成長を遂げました。そして02/03シーズン第6節のモレイレンセ戦でデビューを果たすと、たちまち2ゴールを挙げてクラブの最年少ゴール記録を更新しました。
アメリカで行われたマンチェスター・Uとの親善試合でゴールを挙げ、キーンやファン・ニステルローイに進言されたファーガソン監督が自身の獲得に乗り出します。そして2003年8月13日に10代の選手としては史上最高の約23億円でマンチェスター・Uへ加入します。背番号はスポルティングで着けた「28」を希望しましたが、ファーガソン監督が次代を担う存在として、ベスト、ブライアン・ロブソン、カントナ、ベッカムなどが身にまとった「7」を託してきたのです。
3日後のボルトンとの開幕戦でプレミアリーグにデビューします。当初は周囲との連携がうまくいかなかったり、イングランドのサッカーになじめなかったりと悪い時期がありましたが、徐々に持ち味を発揮するようになります。ミルウォールとのFA杯決勝ではヘディングで先制点を決めて初タイトルを獲得し、最優秀選手に選ばれました。2005年10月29日ミドルスブラ戦では、クラブのプレミアリーグ通算1000点目となるメモリアルゴールを挙げました。
06/07シーズンはランク3位の17ゴールを挙げ、チームに4年ぶりのリーグ優勝をもたらします。翌シーズンはCF並の決定力を発揮、リーグではニューカッスル戦でのハットトリックなど31ゴール、チャンピオンズ・リーグでも8ゴールを挙げて2冠に貢献し、ポルトガル人初のFIFA最優秀選手など2008年の個人タイトルを総なめにします。シーズンオフにR・マドリー移籍を志願するも認められずチームに残留。モチベーションの低下が懸念されましたが、得点王アネルカに次ぐ18ゴールを挙げて3連覇を果たし、チャンピオンズ・リーグも決勝に進みました。
09/10シーズン、8年前のジダンを上回るフットボール史上最高額の約128億円でR・マドリーと6年契約を結びます。同時加入のカカやベンゼマらと共にスペクタクルと結果が求められる中、8月29日デポルティボとのリーグデビュー戦でゴールを挙げると、終盤にはアウェーのマジョルカ戦でハットトリックを達成するなど26ゴールを挙げますが、バルセロナの前に無冠に終わりました。チャンピオンズ・リーグでは6試合7ゴールと個人的には活躍しました。
2年目はラシンやセビージャ相手の1試合4ゴール、4度のハットトリックなどリーグ新記録の41ゴールで得点王になります。また、国内カップでも8試合戦いレバンテ戦でのハットトリックや決勝バルサ戦など大会最多の7ゴールでクラブ18年ぶりのタイトルを獲得しました。
3年目はサラゴサとの開幕戦やマドリードダービーなど7度もハットトリックを達成、46ゴールを挙げながら50ゴールのメッシに得点王を譲りますが、覇権は奪還しました。チャンピオンズ・リーグでも10試合で10ゴールと決定力を披露、バイエルンとの準決勝2ndレグも2ゴールを挙げますが、PK戦で敗れました。4年目はアウェーのクラシコでの2ゴールや3度のハットトリックなどのリーガ、古巣マンチェスター・U戦での2戦連発や、レヴァンドフスキの4発に沈んだチームで一矢報いたチャンピオンズ・リーグ(12)、2度のハットトリックを決めた国内カップ(7)といずれも試合と同数のゴールを挙げましたが、タイトルにつながりませんでした。それでも全大会で自己最多の69ゴールを決め、代表での活躍もあって2度目のバロンドールに輝きました。
5年目も2度のハットトリックや終盤の6試合連続ゴールなど、31ゴールで2度目の得点王になります。チャンピオンズ・リーグでもガラタサライとの初戦でハットトリックを決め、王者バイエルンとの準決勝2ndレグでは2年前にメッシが作った大会最多記録を塗り替え、マドリードダービーの決勝でもダメ押しのPKなど計17ゴールでチームにビッグイヤーをもたらしました。6年目も10試合連続ゴールやグラナダ相手の1試合5ゴール含む7度のハットトリックなど48ゴールを挙げ、43ゴールのメッシとのデッドヒートを制しました。チャンピオンズ・リーグも12試合戦い、メッシやネイマールとの最多タイとなる10ゴールをマーク。準決勝ユヴェントス戦では1stレグでアウェーゴールを取り、2ndレグで先制のPKを決めますが、モラタに恩返しされて敗退しました。7年目もエスパニョールとのアウェー戦で5発、ホーム戦でハットトリック、セルタ戦の4発など、トップのスアレスに次ぐ35ゴールを挙げます。チャンピオンズ・リーグでもシャフタール戦とヴォルフスブルク戦のハットトリック、マルメ戦の4ゴールなど16ゴールで3年連続で得点王に輝き、2年ぶりのビッグイヤーを手にしました。

U-17、U-18、U-21と各年代のポルトガル代表を経験。プレミアデビューの4日後、2003年8月20日、カザフスタン戦の後半に交代出場してフル代表にデビューしました。
その後召集され続けてレギュラーを確保し、2004年に地元で開催された欧州選手権にも出場。開幕戦のギリシャ戦で代表初ゴールを挙げました。全4試合に出場しましたが準優勝に終わり涙を見せました。アテネ五輪にも出場しますが2試合1ゴールに終わりました。
2006年W杯予選は、フィーゴが休養をしているなか順調に勝ち点を積み重ねます。父親の他界にもかかわらず気丈に直後のロシア戦に出場し、フェリペ監督も賛辞を述べました。そして12試合フル出場し、CFパウレタに次ぐ7ゴールを記録して出場権を獲得します。本大会ではイラン戦で決勝トーナメント進出を決定付けるPKを確実に決めました。決勝トーナメントのオランダ戦で右大腿部を負傷して泣いてしまう場面がありましたが、準々決勝のイングランド戦に復帰します。しかしクラブの僚友ルーニーを退場に追い込み、以降ブーイングを浴びることになりました。そしてPK戦では4人目のキッカーとして確実に成功させ、ベスト4に進出しました。
2008年欧州選手権予選では、13試合で8ゴールを挙げると同時にキャプテンとしてチームをけん引して出場権獲得に大きく貢献しますが、本大会では1ゴールと精彩を欠きました。
2010年W杯予選では7試合ノーゴールと結果を出せずプレーオフに回る要因となり、4試合プレーした本大会でも北朝鮮戦での1ゴールのみに終わっています。
2012年欧州選手権予選では8試合に出場。デンマークとの両試合やボスニア・Hとのプレーオフ2ndレグでの2ゴールと役割を果たします。本大会でも5試合戦い、オランダに2ゴール、チェコに1ゴールを挙げ、F・トーレスやバロテッリらと得点王のタイトルを分け合いました。
2014年W杯予選は10試合出場。北アイルランド戦、スウェーデンとのプレーオフ2ndレグでのハットトリックなど8ゴールと高い決定力を示しました。しかし本戦は左ヒザの負傷で本領発揮には至らず、ガーナ戦の1ゴールにとどまりました。それでもクラブと合わせて年間62ゴールを挙げてパウレタの代表最多記録も塗り替え、2年連続でバロンドールに選ばれました。
2016年欧州選手権予選は6試合戦い、アルメニア戦のハットトリックなど5ゴールを挙げました。本大会はウェールズ戦でヘッドを決めます。ホスト国フランスとの決勝では負傷しますが、治療を終えてタッチラインの外から味方を鼓舞して勝利を呼び込み、トロフィーを掲げました。
代表記録

余談
・ロナウドという名前は、アメリカのレーガン元大統領にちなんでいます。
※:クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ
2006年6月2日:新規アップ 2017年1月11日更新