ドメニコ・クリッシト(Domenico CRISCITO)
フルネーム ドメニコ・クリッシト
国籍 イタリア  
出身地 チェルコラ
生年月日 1986・12・30
身長 181cm
体重 73kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2009・8・12
スイス戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 11/12,14/15ロシアリーグ
15/16ロシアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 ジェノア(2部)
03/04 ジェノア(2部)
04/05 ユヴェントス
05/06 ユヴェントス 15
06/07 ジェノア(2部) 19 36
07/08 ユヴェントス 19
07/08 ジェノア 18 16
08/09 ジェノア 4 34
09/10 ジェノア 4 29
10/11 ジェノア 4 36
11/12 ゼニト(ロシア) 4 24
12/13 ゼニト(ロシア) 4 12
13/14 ゼニト(ロシア) 4 18
14/15 ゼニト(ロシア) 4 25
15/16 ゼニト(ロシア) 4 23
16/17 ゼニト(ロシア) 4 25
17/18 ゼニト(ロシア) 4 28
18/19 ジェノア 4 35
19/20 ジェノア 4    
速さとうまさを兼ね備え、パスや判断も正確なレフティー。フィジカルコンタクトに不安を抱えるため、本来のSBではなく前のポジションで起用されることもあります。

イタリア南部チェルコラ生まれ。13歳からクラブに所属し、3年後にジェノアの下部組織に加入、2003年6月に16歳でセリエBにデビューしてプロ生活を始めます。
その後共同保有という形でユヴェントスへ移籍します。下部組織ではMFマルキージオやFWジョヴィンコらと共に過ごしますが、選手層が厚くスクデット連覇を果たす(その後発覚した八百長により、はく奪)トップチームでの出場機会には恵まれませんでした。
06/07シーズンにジェノアに復帰します。ユヴェントスの下部組織時代の恩師ガスペリーニ監督に重用され、36試合4得点と好成績を収めてチーム13年ぶりのA復帰に貢献します。これによりユヴェントスに復帰し、2007年8月25日リヴォルノとの開幕戦でセリエAにデビューしますが、キエッリーニとのポジション争いに敗れて8試合の出場にとどまりました。
その後ジェノアへレンタルで復帰して16試合に先発、そのままチームに定着した08/09シーズンは本拠パレルモ戦でのセリエA初ゴール、ユヴェントス戦での勝ち越しアシストなど、3ゴール3アシストでヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。翌シーズンはローマとの開幕戦でゴールを決めますが、ナポリ戦で一発レッドになりました。ヨーロッパリーグでもオデンセとのプレーオフでアウェーゴールを決めました。本戦は4試合戦いますが、バレンシアに敗れました。
10/11シーズンはノーゴールでしたが、本拠レッチェ戦で2つのゴールを演出するなど、自己最多の36試合に出場。しかしカターニャとのアウェー戦でF・フローレスと共にレッドを受けました。国内カップでは決勝に進んだものの、インテルの前にタイトルを逃しました。
ナポリのオファーもありましたが、スパレッティ監督率いるゼニトに加入。2011年8月6日C・モスクワ戦でロシアリーグにデビューし、2度のリーグ優勝を果たしました。
チャンピオンズ・リーグでもグループリーグ全6試合に先発出場して決勝トーナメントに進出しました。以降15/16シーズンまで連続出場、最高はベスト8でした。ヨーロッパリーグは14/15シーズンのベスト8が最高記録となりました。
18/19シーズン、8年ぶりにジェノアへ復帰します。スパル戦では早々に退場しますが、エンポリやボローニャ相手に試合を決めるアシスト、ラツィオ戦の勝ち越し点、カリアリ戦での終了間際の同点PKでクラブの降格を回避し、主将としての責務を全うしました。

2006年11月14日チェコ戦でデビューしたU−21では、2007年U−21欧州選手権で3試合、北京五輪で3試合、2009年のU−21欧州選手権に4試合出場しました。
同年8月12日スイス戦でフル代表デビュー。2010年W杯予選の出場は1試合でしたが、強化試合で結果を残し、本大会のグループリーグ3試合に出場しました。
2012年欧州選手権予選では3試合に先発出場しています。
代表記録

2019年2月8日:新規アップ 2019年8月25日更新