フィリップ・コクー(Phillip COCU) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | フィリップ・ヨン・ヴィリアム・コクー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | オランダ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ※ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1970・10・29 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1996・4・24 ドイツ戦 |
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代表背番号 | 6 7 11 20 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 95/96,04/05オランダカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
96/97,04/05,05/06,06/07エールディヴィジ | |||||||||||||||||||||||||||||
98/99リーガ・エスパニョーラ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 AZ | 15 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 AZ | 35 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 フィテッセ | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 フィテッセ | 33 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 フィテッセ | 34 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 フィテッセ | 33 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 フィテッセ | 29 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 PSV | 29 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 PSV | 37 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 PSV | 34 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 バルセロナ(スペイン) 15 | 36 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 バルセロナ(スペイン) 8 | 35 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 バルセロナ(スペイン) 8 | 35 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 バルセロナ(スペイン) 8 | 34 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 バルセロナ(スペイン) 8 | 29 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 バルセロナ(スペイン) 8 | 36 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 PSV 8 | 29 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 PSV 8 | 33 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 PSV 8 | 32 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 アル・ジャジーラ(UAE) | 13 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
本来のポジションは中盤の底ですが、FWからDFまでこなせる世界屈指のユーティリティプレーヤー。戦術理解力、テクニック、強靭な肉体を兼備しています。 リーダーシップも抜群で、所属クラブと代表で主将を歴任しています。 17歳で当時2部だったAZとプロ契約を結び、そのシーズンにデビュー。当時はSBとしてプレーしていました。フィテッセに移ってトップリーグにデビューしますが、右足を負傷して満足なシーズンは送れませんでした。しかし2年目以降は主力になり、経験を積んでいきます。 95/96シーズン、幼少時のあこがれだったアヤックスではなく、ライバルで生まれ故郷のアイントホーフェンにあるPSVへ移籍。アドフォカート監督によりレギュラーに定着し、12ゴールを挙げます。これも含めてチームはシーズン95ゴールを挙げますが、2位に終わりました。しかし国内カップを獲得し、UEFA杯でベスト4に進みました。翌シーズンはゼンデンと共に全試合に出場してリーグ優勝に貢献するなど、中心選手として獅子奮迅の活躍を見せました。 98/99シーズン、インテルからオファーがあったものの同胞のファン・ハール監督が率いるバルセロナに移籍します。グアルディオラと中盤を結成し、彼がパスを散らすのに対して自らは積極的に前線に上がり、左WGのリヴァウドをバックアップします。また、自身3度目の2ケタゴールを挙げてリーグ2連覇に貢献し、クラブ創立100周年に花を添えました。 99/00シーズン以降はタイトルから見放されます。リトマネンやF・デブールなど主力にケガが相次ぐ中タフネス振りを発揮して多くの位置でプレーし、主将L・エンリケ欠場の際は代役を務めました。クライファート、デブール兄弟、オーフェルマルスら多くのオランダ人がプレーした中で最も貢献度が高くなり、サポーターからはクラブを離れても高い人気を誇っています。 04/05シーズンに古巣PSVに復帰。バルセロナでの経験を持ち込みチームを牽引してリーグ制覇を達成。チャンピオンズ・リーグでもミランとの準決勝第2戦でゴールを挙げて欧州に旋風を巻き起こしました。翌シーズンには主将を任され再びリーグ制覇を成し遂げました。 UAEアル・ジャジーラを最後に引退し、PSVやオランダ代表で後進を指導しています。 フル代表デビューは1996年4月24日のドイツ戦。25歳と遅いデビューでしたが、ヒディンク監督に認められて定着し、同年の欧州選手権に出場しました。 1998年W杯予選、本戦共に7試合戦い2ゴールを挙げてベスト4進出に貢献。持ち前の利便性を発揮し、試合ごとに守備的MF、FW、左SBでプレーしました。 ベルギーと共催の自国開催となった2000年の欧州選手権でも全試合出場。ゴールこそなかったものの、ダーヴィッツと共にベルカンプやクライファートといった攻撃陣を中盤の低い位置から支えてベスト4になりました。2002年W杯予選は9試合出場するものの敗退しましたが、2年後の欧州選手権ではオランダ復権を印象付ける3位の成績を残しました。 2006年W杯予選は主将として8試合出場。中盤の位置にもかかわらず、FWファン・ニステルローイに次ぐ4ゴールを挙げます。本大会でも全試合に先発してベスト16進出を果たしました。 代表記録 101試合10得点 ※:アイントホーフェン 2006年6月8日:新規アップ 2013年9月11日更新 |