チェ・ヨンス(Yong Soo CHOI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 崔龍洙(チェ・ヨンス) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 韓国 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 釜山 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1973・9・10 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 184cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 79kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・2・19 中国戦 |
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代表背番号 | 11 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | トクスリ=ワシ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 00Kリーグ年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 00Kリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
94 安養LG | 34 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
95 安養LG | 28 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
96 安養LG | 22 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
97 尚武 | |||||||||||||||||||||||||||||
98 尚武 | |||||||||||||||||||||||||||||
99 安養LG | 27 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
00 安養LG | 34 | 14 | |||||||||||||||||||||||||||
01 ジェフ市原(日本) 10 | 26 | 21 | |||||||||||||||||||||||||||
02 ジェフ市原(日本) 10 | 23 | 16 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ジェフ市原(日本) 10 | 24 | 17 | |||||||||||||||||||||||||||
04 京都サンガ(日本J2) 21 | 33 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ジュビロ磐田(日本) 16 | 15 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
06 FCソウル 11 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
正確で強烈な右足シュートと打点の高いヘディングで抜群の決定力を誇る韓国屈指のCF。ポストプレーやおとりとなる動きも秀逸で、味方をお膳立てするすべも擁しています。 小学4年でボールを蹴り始め、学生時代は中学から大学まで一貫してFWでプレーしました。94シーズンに安養へ加入し、以降ケガで離脱した96シーズンを除く毎年2ケタゴールを挙げる国内トップクラスの実力を持ったストライカーとして君臨しました。 97シーズンから2年間軍隊のチームに所属し、安養へ復帰します。00シーズンにはチームを優勝に導いてKリーグの最優秀選手になりました。 そして市原(現千葉)に加入。2001年3月31日柏戦でのJデビューを自らゴールで飾り、7度の1試合2ゴールを記録するなど26試合で21ゴールと驚異的な数字を残しました。 2年目も開幕2試合で3ゴールを挙げ、1stステージ終了間際に4試合連続ゴールをマーク。9月14日アウェーの名古屋戦でJ通算8000ゴール目を挙げました。3年目は4月26日のホームの横浜FM戦と29日の京都戦で2試合連続ハットトリックを達成する爆発力を見せました。 京都、磐田と渡り歩いた後、06シーズンにFCソウルでコーチ兼選手になります。08シーズンにアシスタント、11シーズンに監督に昇格して優勝も経験しています。 1993年Wユースと1996年のアトランタ五輪に出場しますが、いずれもノーゴールに終わりました。フル代表デビューは1995年2月19日中国戦となりました。 日本にとっては特に手ごわい存在で、1992年のアジアユース選手権の準決勝で決勝ゴールを挙げ、1996年3月の五輪予選でもゴールします。さらに1998年W杯アジア最終予選では2アシストで2対1の勝利に貢献しました。同予選ではチーム最多の9ゴールを挙げて出場権獲得に貢献しますが、本大会ではノーゴールに終わりました。 W杯後のアジア大会2次リーグ初戦では、U−21日本代表に2ゴールを決めました。2002年W杯にもエントリーされますが、アメリカ戦の途中出場のみに終わりました。 代表記録 67試合27得点 2006年7月27日:新規アップ 2017年6月18日更新 |