ジョルジョ・キエッリーニ(Giorgio CHIELLINI)
フルネーム ジョルジョ・キエッリーニ
国籍 イタリア  
出身地 ピサ
生年月日 1984・8・14
身長 186cm
体重 76kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2004・11・17
フィンランド戦
代表背番号 3 4
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 07UEFAU−21欧州選手権ベストイレブン
08〜10セリエA最優秀DF
12/13セリエAベストイレブン
14/15UEFAチャンピオンズ・リーグベストイレブン
チームタイトル 03U−19UEFA欧州選手権
04アテネオリンピック銅メダル
11/12〜16/17セリエA
14/15〜16/17コッパ・イタリア
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 リヴォルノ(3部)
01/02 リヴォルノ(3部)
02/03 リヴォルノ(2部)
03/04 リヴォルノ(2部)  41
04/05 フィオレンティーナ 4 37
05/06 ユヴェントス 3 17
06/07 ユヴェントス(2部) 3 32
07/08 ユヴェントス 3 30
08/09 ユヴェントス 3 27
09/10 ユヴェントス 3 32
10/11 ユヴェントス 3 32
11/12 ユヴェントス 3 34
12/13 ユヴェントス 3 24
13/14 ユヴェントス 3 31
14/15 ユヴェントス 3 28
15/16 ユヴェントス 3 24
16/17 ユヴェントス 3 21
17/18 ユヴェントス 3    
攻撃的な左SBで台頭し、カードが多いながらも強靭なフィジカルや精神力でCBとして存在感を見せます。経済学を優秀な成績で修めるなど知性も兼ね備えています。

5歳の時、双児であるクラウディオと共にサッカーを始め、12歳で地元リヴォルノの下部組織へ入団します。センターハーフやWGなど様々なポジションを経て左SBとして頭角を現し、00/01シーズンに当時C1に属していたトップチームへ昇格、弱冠16才でプロデビューします。
セリエBに昇格すると、マッツァーリ監督の抜擢に応えて41試合に出場するだけでなく、4ゴールも取る活躍を見せてセリエA昇格に多大なる貢献を果たしました。
この活躍によりユヴェントスへ引き抜かれます。しかし出番に恵まれず共同保有のフィオレンティーナへレンタルされ、2004年9月12日ローマ戦でセリエAにデビューします。初めてのトップリーグでながら37試合戦い、所属元のユヴェントス戦を含む3ゴールを挙げるなどチームのA残留を置き土産にユヴェントスに復帰します。カンナヴァーロやテュラム、ザンブロッタなど層が厚く17試合にとどまるもスクデットを獲得。チャンピオンズ・リーグにも6試合出場しました。
06/07シーズン、チームの八百長疑惑からカンナヴァーロ、テュラム、ザンブロッタが去り、R・コヴァチのケガなどからデシャン監督によりCBにコンバートされます。B経験者が少ないチームにあってレグロッターリエと共に守備の中心的な存在となり、A復帰に大きく貢献しました。翌シーズンにはラニエリ監督との確執も取りざたされながらチームに残り、30試合に出場してラツィオ戦で2回ネットを揺らすなど、チャンピオンズ・リーグの出場権を獲りました。
欧州選手権での勢いをリーグ戦に持ち込みたかった08/09シーズンは、ベルルスコーニ杯で左ヒザのじん帯を損傷して出遅れますが、復帰後はミラン戦でゴールを決めました。7試合に出たチャンピオンズ・リーグは、チェルシーとのホーム戦でレッドを受けてベスト16どまりでした。09/10シーズンはインテル戦での先制、カリアリ戦での決勝ゴール、翌シーズンはラツィオ相手の先制点やナポリ相手の最終節と攻撃面でインパクトを残しました。
11/12シーズンにコンテ監督が就任。アウェーのローマ戦では同点ゴールを挙げるなど6年ぶりのスクデット獲得を果たします。GKブッフォン、ボヌッチ、バルザーリと手堅い陣容を築き、13/14シーズンはラツィオ、ミラン、インテルからゴールを奪います。14/15シーズンはスクデット5連覇を達成し、国内カップではラツィオとの同点ゴールを挙げて優勝に貢献。チャンピオンズ・リーグでも12試合戦い、ドルトムントやマドリード勢を破って決勝に進みます。しかし練習中のケガによりクラブ12年ぶりの大舞台に立つことができませんでした。
16/17シーズンもスクデット6連覇、カップ3連覇します。9試合に出場したチャンピオンズ・リーグでは準々決勝バルサ戦1stレグでゴールを挙げるなど2シーズンぶりに決勝に進出しますが、R・マドリーの攻撃に屈しました。

2000年4月のUー15代表デビュー以来全ての年代に招集されます。いずれも2試合戦った2003年Uー19欧州選手権で優勝し、翌年のアテネ五輪は銅メダルを獲得。多くの成功によりセリエAデビューからわずか2ヶ月の11月17日フィンランド戦でフル代表デビューします。
2006年W杯メンバーからは外れたものの、同時期に開催された自身2度目のU−21欧州選手権に出場して第2戦ウクライナ戦で決勝弾を記録。翌年の同大会も4試合に出場してイングランドとチェコからゴールを奪い、大会ベストイレブンになりました。
2008年欧州選手権予選では、最終節のフェロー諸島戦で代表初ゴールを記録して本大会メンバーに入ります。しかし練習中にキャプテンのカンナヴァーロと接触し、彼の出場は不可能となりました。本大会ではオランダとの初戦こそベンチで過ごしますが、0−3と大敗したため2戦目よりベテランのパヌッチとコンビを組みます。準々決勝スペイン戦ではビジャとF・トーレスを封じてPK戦に持ち込んだものの、惜しくも敗退しました。翌年のコンフェデ杯は3試合戦いますが、エジプトとブラジルに連敗してグループリーグで敗退しました。
2010年W杯予選では7試合出場、本大会では3試合プレーするもののクラブの同僚カンナヴァーロやブッフォンの不調もあり、まさかのグループリーグ敗退となりました。
2012年欧州選手権予選は、カッサーノと共にチーム最多の10試合に先発します。本大会は5試合に出て決勝に進みますが、スペインの圧倒的な攻撃力に屈して前回の雪辱はなりませんでした。翌年のコンフェデ杯は5試合に出場。メキシコと日本に苦戦し、ブラジル戦では追撃のゴールを挙げるも終了間際に失点しました。その後スペインとの準決勝でPK負けし、ウルグアイとの3位決定戦でPK勝ちしました。自身はキッカーとしての出番はありませんでした。
2014年W杯予選はチェコ戦で貴重なゴールを挙げるなど5試合に出場。本大会ではウルグアイ戦でスアレスに噛まれながらノーファールと逆境となり、決勝点を献上しました。
2016年欧州選手権予選は8試合プレー。ホームのアゼルバイジャン戦を2−1で制し、先制とオウンゴール、勝ち越し点と試合の全スコアを挙げました。本大会では4試合に出場してスペイン戦で先制点を挙げますが、ドイツとの準々決勝でPK負けを喫しました。
代表記録

2015年12月10日:新規アップ 2017年7月7日更新