ペリクレス・シャムスカ(Pericles CHAMUSCA)
フルネーム ペリクレス・ライムンド・オリヴェイラ・シャムスカ
国籍 ブラジル
出身地 サルバドール
生年月日 1965・9・29
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1992〜95 1999〜01 ヴィトーリア
1996〜96 2002〜04 サンタクルス
1997〜97 ミラソール→リオ・ブランコ・エスポルテ→アメリカ
1998〜98 アトレティコ→アラゴアス
2001〜01 コリンチャンス
2002〜02 ブラジリエンセ→カシアス
2004〜04 サントアンドレ→サンカエターノ
2005〜05 ゴイアス→ボタフォゴ
2005〜09 大分トリニータ(日本)
2009〜09 スポルチ・レシフェ
2010〜10 アヴァイ
2010〜11 アル・アラビ(カタール)
2011〜12 アル・ジェイシ(カタール)
2012〜13 ポルトゲーザ
2013〜13 クリティバ
2014〜14 ジュビロ磐田(日本)
獲得タイトル 95バイーア州選手権
99アラゴアス州選手権
04ブラジルカップ
08ナビスコカップ
プロ選手としての経験はありませんでしたが、体育大学を卒業しています。

ブラジル人監督にしては珍しく、個の力に頼らずに組織を重要視します。若手の育成、ベテランの再生など現有戦力をうまくやりくりするマネージメント能力に長けています。ただ、ポゼッション重視で攻撃的なチームを理想とするところはブラジル人らしいといえます。
性格は穏やかでマスコミ嫌いとしても有名で、自身やチームが必要以上に騒がれるのを嫌います。過去にさまざまな国の代表監督就任の要請を受けましたが、この理由で断っています。

1992年に28歳でヴィトーリアにて本格的な指導者のキャリアを歩み始めます。その後国内の中小クラブを転々として自身の采配スタイルを確立させると、その後はボタフォゴ、コリンチャンスといった強豪クラブでも指揮を執りました。
2002年にブラジリエンセを率いた時は、チームをブラジル杯決勝まで導きました。2年後には2部のサント・アンドレに就任すると、そのシーズンのブラジル杯決勝で名門フラメンゴを破ってタイトル獲得に成功しました。2部チームで同タイトルを獲得したのは、ブラジル代表やポルトガル代表を率いたフェリペ・スコラーリ監督以来の快挙でした。
2005年9月にJリーグ大分の監督に就任。実弟のマルセロをコーチに据え、選手との信頼関係を大事にして自信を植え付けるなど、降格圏内をさまようチームの再建に乗り出します。9月10日の第23節、アウェーの浦和戦にてJリーグで初采配をふるい2−1で勝利します。その後横浜FMやG大阪などの強豪をいずれもアウェーで破り、6試合負けなしの快進撃を見せました。結局就任後は2敗しかしておらず、就任時に17位だった順位を11位まで引き上げてJ1残留の原動力となり、その采配は「シャムスカ・マジック」と呼ばれるようになりました。
06シーズンは、18得点を挙げたFWM・アウヴェスがG大阪に移籍しましたが、代役としてサントアンドレ時代に起用していたFWオズマールを呼びます。彼は結果を残せず退団しますが、生え抜きのFW高松と松橋章がその穴を埋める活躍を見せました。また、GK西川、DF福元、MF梅崎など若手の育成にも力を入れて選手層を充実させ、リーグ8位と躍進させました。
08シーズン、リーグでは最小の24失点で4位に躍進すると、ナビスコ杯では決勝で清水を破ってクラブに初タイトルをもたらします。しかし翌シーズンは自慢の守備が崩壊、Jリーグワーストの14連敗という深刻な事態となり解任されました。
その後は母国や中東で采配を振るいますが、いずれも短期政権に終わりました。14シーズンにJ1から陥落した磐田の再建を託されます。しかし攻守のバランスが悪く、J1に昇格したことがない水戸に4失点と大敗した第33節終了後にクラブから解雇されました。

2006年10月17日:新規アップ 2014年9月26日更新

05大分トリニータ
M・アウヴェス 高松大樹
  吉田孝行  
根本裕一 梅田高志
トゥーリオ エヂミウソン
上本大海 深谷友基
  三木隆司  
  西川周作  

08大分トリニータ(ナビスコ杯優勝)
ウェズレイ高松大樹
 金崎夢生 
鈴木慎吾高橋大輔
ホベルトエヂミウソン
上本大海深谷友基
 森重真人 
 西川周作