チャ・ボンクン(Bum-Kun CHA)
フルネーム 車範根(チャ・ボンクン)
国籍 韓国
出身地 華城群
生年月日 1953・5・22
身長 179cm
体重 79kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1972・5・19
イラク戦
代表背番号 11
W杯メンバー 86年
ニックネーム アジアの虎
個人タイトル 20世紀アジア最優秀選手(国際記録歴史学会)
チームタイトル 79/80,87/88UEFAカップ
80/81DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
78/79 ダルムシュタット(西ドイツ)
79/80 フランクフルト(西ドイツ) 31 12
80/81 フランクフルト(西ドイツ) 27
81/82 フランクフルト(西ドイツ) 31 11
82/83 フランクフルト(西ドイツ) 33 15
83/84 レヴァークーゼン(西ドイツ) 34 12
84/85 レヴァークーゼン(西ドイツ) 29 10
85/86 レヴァークーゼン(西ドイツ) 34 17
86/87 レヴァークーゼン(西ドイツ) 33
87/88 レヴァークーゼン(西ドイツ) 25
88/89 レヴァークーゼン(西ドイツ) 30
1980年代のアジアを代表する選手であり、韓国の国民的英雄。FIFAから20世紀のアジア最高のプレーヤーとも評されています。強靭な体格であり相手DFにも当たり負けせず、強烈なシュート、高さとスピード、テクニックがそろったオールラウンドなストライカーです。

高校時代にサッカーと出会い、高麗大を経て空軍に所属。その後ドイツへ渡ってダルムシュタットに入団します。78/79シーズンにチームに合流し、ドルトムント戦で韓国人として初めてドイツのピッチを踏むと、翌シーズンにフランクフルトへ移籍し、3試合連続ゴールをマークするなどすぐに適応します。UEFA杯の決勝では同国対決となり、マテウス擁するボルシアMGと対戦、アジア人プレーヤーとして最初の欧州タイトルであるUEFA杯を獲得しました。
83/84シーズンにはレヴァークーゼンへ移籍します。ここでもエースとしての役割を果たし、85/86シーズンはブンデスリーガのアジア人最多記録となる17ゴールを挙げ、通算ではデンマークのアラン・シモンセンが持つ、ブンデスリーガ外国人最多記録である76ゴールを更新する98ゴールを記録しました(1999年にスイスのシャプイサに更新されました)。
87/88シーズンのUEFA杯では準々決勝でバルセロナを下し、決勝ではエスパニョールと対決します。アウェーの1stレグは3−0で敗れますが、迎えたホームの2ndレグでは、チッタ、ゲッツに続き3点目のゴールを決め、PK戦にもつれた試合を制します。ドイツ代表クリンスマンやイタリア代表スキラッチなどに続き、史上9人目の異なるチームでの戴冠となりました。
現役を引退した後は指導者に転身します。ホン・ミョンボ、ユ・サンチョル、チェ・ヨンス、ファン・ソンホンなどを擁して1998年W杯本大会に臨んだものの、グループリーグでメキシコとオランダに完敗した直後に解任されました。しかしその後は母国のクラブチームを率いてリーグ優勝を達成するなど、一度地に落ちた監督としての評価を回復することに成功しています。

1972年アジアユースに出場してチームを準優勝に導いた後、5月19日アジア杯イラク戦でフル代表デビュー。3日後のカンボジア戦で初ゴールを挙げてエースとなります。
1975年8月9日、ムルデカ大会日本戦ではハットトリックを達成しまました。W杯予選は1974年と1978年大会に参加し、通算16試合7ゴールの成績を残しています。
1986年W杯では本大会のみ出場するもノーゴールに終わり、チームもアルゼンチンとイタリアの前に敗れグループリーグで姿を消しました。
代表記録 121試合55得点

余談
・2002年、2010年W杯韓国代表MFチャ・ドゥリは実の息子です。
2010年2月14日:新規アップ 2012年8月16日更新

98韓国代表(W杯出場)
チェ・ヨンス ファン・ソンホン
ソ・ジョンウォン イ・サンユン
ハ・ソクジュ イ・ギョンヒ
  ユ・サンチョル  
チェ・ヨンイル イ・ソンミン
  ホン・ミョンボ  
  キム・ビョンジ  

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