セスク・ファブレガス(CESC FABREGAS)
フルネーム フランセスク・ファブレガス・ソレール
国籍 スペイン  
出身地 アレンチ・デル・マル
生年月日 1987・5・4
身長 180cm
体重 69kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 2006・3・1
コートジボワール戦
代表背番号 10 18
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム セスク
個人タイトル 03UEFAU−17世界選手権最優秀選手・得点王(5得点)
06,08UEFAベストイレブン
07/08プレミアリーグ年間最優秀若手選手(PFA)
07/08,09/10プレミアリーグベストイレブン(PFA)
08,12UEFA欧州選手権ベストイレブン
チームタイトル 04/05,17/18FAカップ
08,12UEFA欧州選手権
10FIFAワールドカップ
11FIFAクラブワールドカップ
11/12コパ・デル・レイ
12/13リーガ・エスパニョーラ
14/15,16/17プレミアリーグ
14/15イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 バルセロナB(3部)
03/04 アーセナル(イングランド) 57
04/05 アーセナル(イングランド) 15 33
05/06 アーセナル(イングランド) 15 35
06/07 アーセナル(イングランド) 4 38
07/08 アーセナル(イングランド) 4 31
08/09 アーセナル(イングランド) 4 22
09/10 アーセナル(イングランド) 4 27 15
10/11 アーセナル(イングランド) 4 25
11/12 バルセロナ 4 28
12/13 バルセロナ 4 32 11
13/14 バルセロナ 4 36
14/15 チェルシー(イングランド) 4 34
15/16 チェルシー(イングランド) 4 37
16/17 チェルシー(イングランド) 4 29
17/18 チェルシー(イングランド) 4 32
18/19 チェルシー(イングランド) 4
18/19 モナコ(フランス) 44 13
19/20 モナコ(フランス) 4    
広い視野と正確なパスで攻撃の起点になるだけでなく、高質なオフ・ザ・ボールや遠目からのミドルも備える万能型のセントラルMF。強い精神力も持ち味です。

バルセロナ近郊の港町アレンチ・デル・マルで生まれ、地元クラブの選手だった父親の影響を受けてボールを蹴り始めます。10歳の時にバルセロナのカンテラへ入り、同じポジションの先達グアルディオラに憧れてメッシやピケらと共に成長を遂げました。
若すぎたためトップデビューはなりませんでしたが、U−17世界選手権の活躍がヴェンゲル監督に注目されて16歳でアーセナルへ移籍します。当時はスペイン人選手がいなかったため、スペイン語を話せて年齢も近いスイス代表DFセンデロスの助けを得ました。
2003年10月28日のリーグ杯3回戦ロザハム戦でプロデビューし、16歳177日のクラブ最年少出場記録を作ります。同大会ではその後2試合出場し、12月のウルヴズ戦では16歳212日のクラブ最年少ゴール記録を打ち立てました。
2004年8月15日エヴァートン戦でプレミアリーグにデビューします。続くミドルスブラ戦で2アシスト、さらにブラックバーン戦で初ゴール、トッテナムとのダービーでも両試合でアシストして連勝し、リヴァプール戦でもゴールと持てる才能を発揮し、フランス代表ヴィエラやブラジル代表G・シルバといった世界最高峰を手本にしてレギュラーに定着します。また、FA杯は決勝でマンチェスター・Uを破りクラブレベルでの初タイトルを獲得しました。チャンピオンズ・リーグのローゼンボリ戦では大会史上2番目の若さでゴールを挙げて5−1の勝利に貢献しました。
翌シーズンはチャンピオンズ・リーグで13試合に出場します。決勝トーナメント初戦ではR・マドリーを手玉に取り、準々決勝ユヴェントス戦1stレグでは1ゴール1アシストを見せました。クラブは初めて決勝に進みますが、古巣バルサに敗れました。
06/07シーズンに退団したヴィエラの4番を受け継ぎ、クラブと8年契約します。リーグ杯では決勝でチェルシーに敗れて2つ目のタイトルは獲れませんでしたが、リーグでは自身最多の38試合で13アシストし、チャンピオンズ・リーグでも8試合フル出場しました。
07/08シーズンは開幕からフレブの逆転弾を演出し、自身もトッテナムとのアウェー戦など4試合連続弾、3試合連続アシストを見せます。その後もマンチェスター・Uやリヴァプール戦のゴール、チェルシー戦やトッテナムとのホーム戦で決勝アシストを見せました。また、チームメートを批判したガラスに代わって11月から腕章を任され、アンリやリュングベリが去ったチームの名実ともに新しいリーダーとしての責任を果たし、PFA最優秀若手選手賞を受賞しました。
09/10シーズンは開幕エヴァートン戦で2ゴール2アシスト、ブラックバーン戦で1ゴール4アシストの他、2度の4試合連続ゴールなど15ゴール13アシストを決めました。翌シーズンもチャンピオンズ・リーグのブラガ戦で2ゴール2アシスト、リーグのチェルシー戦で1ゴール2アシスト、トッテナム戦での両試合で1アシストと国内外で存在感を示しました。
11/12シーズンに何度も取りざたされたバルサ復帰が現実となります。ポルトとのUEFAスーパー杯で得点を決め、8月29日に24歳で迎えたビジャレアルとのリーガデビュー戦や8−0で勝ったオサスナ戦での1ゴール3アシスト、アウェーのクラシコ、クラブW杯決勝サントス戦、チャンピオンズ・リーグのレヴァークーゼン戦での3アシストなど勝負強さを見せました。
2年目は、マジョルカ戦でキャリア初のハットトリックなど自身2度目の2ケタ得点、11アシストを記録してチームの覇権奪還に貢献しました。メッシら優秀なフィニッシャーの存在もあって、3年目も13アシストし、カップ戦でも4ゴール挙げました。
14/15シーズンにチェルシーへ移籍。ランパードが去った3列目に座り、開幕からD・コスタやアザールら2列目以前に決定機をもたらします。そして古巣アーセナル戦やマンチェスター・U戦を含むリーグ最多の18アシストでチームを5年ぶりのリーグ優勝に導きました。
2年目は序盤に苦しんで低迷の一因となりますが、ウェストハム戦で2ゴール、ボーンマス戦で3アシストと終盤に盛り返しました。3年目はカンテの加入もあり常時スタメンではなかったものの、終盤の3連続アシストなど計12アシストで2年ぶりに優勝しました。
18/19シーズンの途中にフリーでモナコへ移っています。

2003年、フィンランドで開催されたUー17世界選手権で5試合に出場。ポルトガル戦で2得点を挙げると、準決勝アルゼンチン戦でも延長後半終了間際に決勝点を挙げてチームを決勝に導き、大会通算5得点で得点王と最優秀選手に選ばれました。
2004年のU−17欧州選手権でも主力として活躍します。準決勝イングランド戦で決勝点を挙げましたが決勝で開催国フランスに敗れて再び準優勝に終わりました。5試合プレーした2005年Wユースでもメッシ擁するアルゼンチンに準々決勝で敗れました。
2006年3月1日コートジボワール戦でフル代表デビューします。1938年のアンヘル・ズビエタによる17歳9ヶ月という記録更新はなりませんでしたが、それでも同年W杯メンバーに抜擢されて全4試合に出場。グループリーグ初戦ウクライナ戦に出場し、19歳41日のW杯本大会におけるスペイン史上最年少出場記録を樹立しました。
2008年欧州選手権予選では8試合に出場。6試合に出場した本大会ではグループリーグのロシア戦で初得点を挙げます。主に途中出場が多かったものの、イタリアとのPK戦では5人目のキッカーとして確実に決め、準決勝のロシア戦でも2アシストを記録するなど文字どおりスーパーサブとして44年ぶりのタイトル獲得に貢献、大会の優秀選手に選ばれました。
2009年コンフェデ杯の準決勝でアメリカに敗れましたが、予選で6試合2得点の結果を残して乗り込んだ2010年W杯本大会でもスーパーサブとして4試合に出場、オランダ戦ではイニエスタの決勝点をアシストして初優勝に貢献しました。
2012年欧州選手権予選は2試合だけでしたが、本戦はゼロトップやスーパーサブとチーム戦術の幅を広げ、自らも2連発してメジャー大会3連覇に寄与しました。翌年のコンフェデは3試合に出ますが、ナイジェリア戦で負傷して準々決勝以降を欠場しました。
7試合に出場した2014年W杯予選でも様々な役割でデル・ボスケ監督を助けますが、本大会は2試合の途中出場と時間が限られました。
2016年欧州選手権予選は6試合プレー。本戦では4試合プレーしてクロアチア戦の一矢を生み出すものの、それ以外はインパクトを残せませんでした。
代表記録

2016年1月25日:新規アップ  2019年9月27日更新